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四国へ

 やっぱり伊予灘いよなだ郵便局の場所を調べてもらったことで、兄貴はわたしを怪しんでいたらしい。それで、わたしがトイレに行った隙に、兄貴はこっそりわたしの部屋をのぞいて、リュックや手紙を用意していたのを確かめたと言った。
 部屋を勝手にのぞいたことを、わたしは怒った。だけど、一緒に四国しこくへ行ってくれると言うから、感謝の気持ちの方が強かった。正直言えば、やっぱり一人は心細い。
 でも今週は高校はテスト期間のはずだ。そのことを聞くと、可愛い妹のためだと兄貴は言った。
 わたしのことなんかちっともかまってくれなかった兄貴が、わたしのためにテストを受けないとは思えない。病み上がりのわたしを心配しているのであれば、わたしの行動を止めようとするはずだ。
 本当の理由を問い詰めると、兄貴は笑いながら、先生の言葉に従っているんだと胸を張った。
 先生というのは兄貴のクラスの担任で、勉強を教えるより人生を語ることに熱心なのだそうだ。よく授業を脱線しながら面白い話をしてくれるそうだけど、その先生が口癖のように言う言葉が、人生は冒険だ、冒険を恐れるな――というものらしい。
 その言葉を兄貴は真面目に受け止めていたそうで、今がその冒険の時だと兄貴は強調した。だけど、これは先生が言う冒険とはちょっと違う気がする。
 とは言っても、兄貴が同行してくれるのは、わたしにはとても心強かった。
 兄貴はスマホを持っているからいろいろ調べられるし、いざと言うときに母と連絡を取ることもできる。また夏休みにバイトをしたお金も、結構残っているそうだ。
 それに比べて、わたしが頼みにしていたのは久実の手紙だけだ。兄貴はあきれながら、どうやって行くつもりだったのかと聞いた。それで、ヒッチハイクで行こうと思っていたと答えると、兄貴の目が輝いた。
 兄貴は四国まで鈍行列車で行こうと考えていたそうだけど、ヒッチハイクの方が経済的だし、何より冒険的な響きが兄貴の気を引いたようだ。
 だけど頭で考えるのと、実際にやってみるのとでは大違いだった。
 初めは四国へ向かうトラックは、簡単に見つかると考えていた。でもトラック自体が見つからない。仕方なく大きな通りまで出たけれど、病み上がりの身体で歩き続けるのは、かなりきつかった。
 それにこんな真夜中過ぎの時間だと、トラックどころか乗用車だってめったに来ない。やっと来たと思ったら、暴走族と思われるようなやかましい音を鳴り響かせる車だった。危ないので、兄貴と街路樹の陰に隠れてやり過ごすと、あとはまた静寂だけが残った。
 きれいなお月さまが煌々こうこうと照らす夜道は、寂しい冷気に満ちている。わたしが両手で身体を抱きながら肩をぶるっと震わせると、来たぞ、来た来た!――と兄貴が叫んだ。
 見ると、車のライトが近づいて来る。トラックだ! わたしたちは待ち構え、トラックが近くに来ると手を大きく振って声をかけた。でもトラックはわたしたちの前を素通りした。だめかと思ってがっくりしていると、少し先の方でトラックが止まった。
 兄貴はトラックの方へ走って行き、身振りを交えて懸命に運転手に訴えた。でも、なかなか反応がないようだ。
 やっぱりだめかと思ったら、兄貴がわたしに向かって両腕で大きな丸を作ってみせた。信じられない気持ちで駆け寄ると、兄貴は得意げに言った。
「乗せてくれるってさ。でも四国までじゃなくて、仮眠をとるトラックが集まってる、高速道路のサービスエリアまでだって。それでいいだろ?」
「四国まで運んでやれりゃいいけどよ。あいにく目的地が違うんでな。四国行きのトラックがいそうな所まで乗っけてってやるよ」
 助手席の窓越しに声をかけてくれたのは、運転席に座ったかなり年輩のおじさんだ。結婚が遅かったそうで、わたしたちと同じ年頃の子供がいるんだって。
 おじさんが荷物を片づけてくれた助手席に、兄貴と一緒に乗り込むと、そこまで友だちを想う子供も、今どき珍しいとおじさんは言った。
 また兄貴のことも、こんな妹想いの兄貴はいないと褒めてくれた。それで気をよくした兄貴は、担任の先生に冒険をしろと言われた話をした。だけど、それはちょっと違うかもな――と、おじさんに笑われてしまった。
 トラックを走らせながら、おじさんはこれまでの苦労話や家族の話を聞かせてくれた。移動の時間は結構あったと思うけど、話を聞いていると、あっと言う間にサービスエリアに着いてしまった。
 おじさんはわたしたちをトラックから降ろすと、四国へ向かいそうなトラックを、自分も降りて探してくれた。
 でも、残念ながら四国行きのトラックは見つからなかった。それに最近は三人乗りのトラックは少なくなっているらしくて、わたしたちを乗せられる上に、西へ向かうトラックを探すのは一苦労だった。
 それでも、大阪おおさかまでなら運んでもいいと言ってくれる運転手さんが見つかった。もちろんトラックは三人乗りだ。それで、わたしたちは大阪で別のトラックを探すことにして、そのトラックへ乗せてもらうことになった。
 親切なおじさんは、わたしたちが新しいトラックに乗り込むのを確かめると、がんばれよ――と言って自分のトラックへ戻って行った。
 兄貴と一緒にお礼を言って手を振ったわたしは、おじさんの親切に感激しながら、やってみるものだと心の中で自分の行動を称賛した。
 兄貴も興奮した様子で、冒険の出だしに満足しているようだ。

「それじゃあ、トラックを動かすぞ」
 わたしたちに声をかけた新たな運転手の人は、さっきのおじさんより若かった。歳を尋ねてみると、四十五だそうだ。
 この人もわたしたちの話に驚きながら、無茶なことをするもんだなと笑っていた。
 兄貴はこの人にも担任の先生に言われた冒険の話をした。だけどやっぱり、ちょっと違うんじゃないかと言われてしまった。
 大阪までどのくらいかかるのかと尋ねると、かなり遠くて何時間もかかるらしい。それで、向こうに着いたら起こすから、それまで眠ればいいと運転手さんは言ってくれた。
 そんなことは申し訳ないと思ったけど、わたしも兄貴もいつの間にか爆睡したようだ。気がついたら、外はすっかり明るくなっていた。
 兄貴が寝ぼけまなこをこすっていると、スマホが何度か鳴ってたぞ――と運転手さんは言った。
 兄貴はごそごそと荷物からスマホを取り出すと、履歴を見て裏返った声を出した。
「母さんだ!」
 兄貴は慌てて母に電話をした。呼び出しの音が聞こえ、すぐに母が出た。
 兄貴は謝ろうとしたけど、その前に母の怒鳴り声がわたしの耳にも飛び込んで来た。
 兄貴が亀みたいに首をすくめ、わたしも思わず同じ仕草をすると、運転手のおじさんは噴き出した。
 兄貴は懸命に母をなだめつつ、兄妹で家を出たことをびた。それで、絶対に危ないことはしないと言って、母を安心させようとした。
 母はしばらく怒り続けていたけど、どうしようもないと諦めたのか、わたしの声を聞かせるようにと兄貴に言った。
 わたしが恐る恐る電話を替わると、母は心配そうな声で、わたしの体調を聞いた。
 わたしは元気なことを伝え、心配をかけたことを謝った。
 母はとにかく身体に気をつけて、頻繁ひんぱんに連絡して来るようにと言った。それから、運転手さんにお礼を言いたいと言ったけど、運転手のおじさんは照れたような顔で、運転中だからと電話に出るのを断った。

 トラックがサービスエリアに停まると、自分の役目はここまでだと、運転手のおじさんは言った。ここなら四国行きのトラックも結構あるらしい。わたしたちが降りると、運転手のおじさんも次のトラックを一緒に探してくれた。そうして何台かのトラックを回ったあと、見つかったのは何と愛媛えひめのトラックだった。しかも運転手は女性だ。
 わたしたちは運転手のおじさんに、何度もお礼を述べて別れた。そのあと女性の運転手さんに挨拶をして、次のトラックへ乗せてもらった。
 運転手さんは越智おちという人だった。越智さんはまだ三十代だそうで、独身だけどバツイチでもあると、カラカラ笑いながら話してくれた。
「これからの女は何でもばんばんやって、男なんぞに負けんようにせんといけんで!」
 越智さんは気合いを込めて言うと、じろりと兄貴を見た。兄貴が戸惑とまどったように下を向くと、また越知さんはカラカラ笑った。
「お兄さんみたいな妹想いの男の子は、女性の味方やけんな。あたしは大好きやで」
 口元に笑みを見せた兄貴はほおを少し赤らめて、また下を向いた。こんな兄貴の姿を、わたしはこれまで見たことがない。
 越智さんは横目で兄貴を見て、可愛いねぇ――とますますテンションが上がった。一方の兄貴はますます小さくなった。
 四国へ渡るには海上の橋を通る。海の上を走るなんて生まれて初めてだ。兄貴も目の前に広がる絶景に、学校にいたんじゃこの景色は見られなかったと興奮気味に言った。
 それで調子が出たのか、兄貴は越知さんにも先生から言われた冒険の話をした。すると越智さんはうなずいて、素敵な冒険だと言ってくれた。兄貴はうれしそうに笑い、そのあともずっとしゃべり続けた。

 松山まつやまに着いたのは夕方だった。どこかで一晩明かさねばならないけれど、どうやって宿を探せばいいのかわからない。
 兄貴が必死にスマホで宿を調べていると、荷物を降ろし終わった越智さんがわたしたちの所へ来て、これからどうするのかと聞いてくれた。
 今の状況を正直に話すと、それならうちへ来ればいいと越智さんは言ってくれた。こんなにラッキーなことになるなんて信じられない。
 驚きのあまり二人で返事もできずにいると、お兄さんのこと襲たりせんけん――と越智さんは兄貴の顔をのぞき込んだ。兄貴が慌てて、そんなことは心配してないと言うと、それじゃあ決まりと越智さんは笑った。

 越智さんの家は、久美くみの家のような古いマンションだった。
 わたしたちはリビングで寝かせてもらうことになった。わたしがソファーで、兄貴は床の上に敷いた布団の上だ。
 越智さんはわたしたちに、郷土料理をご馳走ちそうしてくれた。その上、温泉にまで連れて行ってくれた。
 兄貴は大喜びだったけど、久実のことを思うと、わたしは心の底から楽しむことはできなかった。そんなわたしを越智さんは励ましてくれて、明日は何があるかわからないのだから、そのために身体を休めて力を貯めるのは必要なことだと言ってくれた。

「ほんじゃあ、しっかりやりや!」
 翌朝、駅まで車で運んでくれた越智さんは、わたしたちを降ろすと行ってしまった。
 わたしは越智さんを見送ったあとも、しばらく松山の街並みを眺めながら感慨に浸っていた。
 ほんの一昨日まで、わたしは東京の病院に入院していた。それが今はここにいる。
 普通に考えれば、わたしがここまで来るのは到底無理なことだった。だけど、いろんな人が力を貸してくれて、こうしてここに立っている。それがとても不思議だったし、涙が出るほどの感動だった。
「おい、何やってんだよ! 早くしろよ!」
 いつの間にか切符を購入していた兄貴が、乱暴に手を動かしながら、大声でわたしを呼んだ。周りの人たちが何事かという目で見ている。せっかくの感動が台無しだ。空気が読めない馬鹿兄貴!
 わたしは兄貴をにらむと自分の切符を奪い取り、兄貴を押しのけて改札口へ急いだ。だけど、どこにも切符を入れる自動改札機がない。続いて来た兄貴も、あれ?――ときょろきょろしている。
 兄貴と二人でオロオロしていると、端っこの方にある窓口から女性の駅員さんが、こっちですよ――とにこにこしながらわたしたちを呼んだ。
 駅員さんは切符にハンコを押すと、わたしたちを駅のホームへ入れてくれた。恥じ入りながら入ったホームは閑散としていて、列車はまだ一つも来ていない。
 しばらくそこに立っていると、兄貴が左手から来た列車を指差した。
「おい、見てみろよ。あれ、一両しかないぜ」
 ホームに入って来る列車を見ると、確かに一両だけしかない。
 松山駅の前の道路は路面電車が走っていた。路面電車も珍しいので、兄貴と一緒に眺めていたけど、あれはどれも一両だけだった。だけど、駅の線路を走る一両だけの列車があるとは思いもしなかった。しかも、この列車はパンタグラフがない。
 列車イコール電車だと思っていたわたしは、地下鉄でもないこの列車が、どうやって電気を取っているのだろうと兄貴に尋ねた。でも物知りの兄貴も知らないみたいで、兄貴は近くにいた駅員さんをつかまえて聞いた。
 駅員さんから返って来た答えはディーゼルで、軽油を燃やして動くエンジンで走っているということだ。要するに車と同じなわけだ。
 へぇとわたしたちが驚いているうちに、この一両だけの列車は少し離れた所に停まり、中から乗客たちが降りて来た。
 兄貴は面白がって列車に近づき、しげしげと眺めていた。
 わたしは久美の所へ行くことを考えていたので、自分たちの列車に乗るには、どこにいればいいのかを駅員さんに尋ねた。すると駅員さんは、兄貴が眺めている列車がその列車だと教えてくれた。
 そのことを兄貴に伝えると、兄貴は大喜びで列車に乗り込んだ。乗り込み口は車両後部に一つあるだけで、わたしもそこから兄貴に続いた。
 中は窓を背にして座る椅子が、通路を挟んで向き合っている。乗務員は運転士さん一人で、乗客はわたしたちを含めて数名だけ。
 前へ進もうとすると、近くにいた乗客の男性が、そこの整理券を取れと言う。見ると、小さな四角い機械から小さな紙切れが顔を出している。それを取ると、紙には番号と松山という文字が書かれていた。何だかバスに乗るみたいだ。
 二人でいている所に腰を下ろすと、兄貴は地図を広げた。
 地図によれば、進行方向の右側に海がある。普段、海から遠い所に暮らすわたしたちには、海が見えるというだけで特別な感じがする。
 前方の右側に空席を見つけた兄貴は、そちらへ移動しようとわたしをうながした。そこからだと海だけでなく、運転席からの景色もよく見えた。
 目的地である伊予灘駅までは約一時間。いよいよ久美のいる所だと思うと、何だか身体に力が入る。相棒のわたし・・・も気合いが入っているようだ。
 でも兄貴にとっては、これはただの冒険だ。兄貴は腕時計を何度も見ながら、出発の時間を今か今かと待っていた。

 ジリリンとベルが鳴って扉が閉まると、列車が動き出した。兄貴は身体を後ろにひねり、子供みたいに窓に顔を張りつかせた。
 ここには都会のような高層ビルはない。それでも駅周辺にはビルと呼べる建物が並んでいた。だけど、列車が進むにつれてビルは姿を消し、辺りは民家ばかりになった。
 やがて、水があまり流れていない川幅ばかりが大きな川を渡ると、景色はがらりと変わった。民家さえもがばらけてしまい、線路の周りには田んぼや畑が広がった。前方には山があり、その山へ近づいて行くと、右手にある町並みの向こうに海が現れた。
「おい、春花はるか。海だぞ!」
 兄貴が興奮した様子で叫ぶので、他の乗客たちの視線が集まった。ところが兄貴はまったく意に介さず、海を指差しながら、ほらあそこだ!――とわたしに教えた。
「わかってるから、静かにしてよ!」
 恥ずかしいわたしは小声で兄貴を制したけれど、兄貴には全然通用しない。船だとか島だとか叫びながら窓に張りついている。くすくす笑う乗客もいたけど、わたしは何も聞こえないふりをして下を向いた。
 行く手に山が迫ると線路は二手に分かれ、わたしたちの列車は右手の線路を進んだ。
 列車はしばらく山裾やますその木々の中を走っていたけど、右手の視界が開けると、すぐそこに海が見えた。これでまた兄貴が感嘆の声を上げたので、乗客の何人かがまた笑った。
 わたしは兄貴の背中を引っぱたいてやった。だけど兄貴は、何すんだよ?――と状況がわからない。ほんとに頭がいいのか悪いのか。とにかく兄貴は変わってる。
 そのあと海は何度も土手に隠れたけど、ついにその姿を窓いっぱいに現した。兄貴にうながされて顔を上げてみると、右から左まで全部が海。わたしも思わず窓に張りついた。
 確かにここの夕陽は素晴らしいだろうなと思いながら、兄貴と海を眺めていると、不意に列車が止まった。
 振り返ると列車は駅に停まっていて、伊予灘駅の文字が見えた。わたしたちは慌てて棚から荷物を降ろすと、前方の出口から列車を降りようとした。
 そのとき運転士に切符を求められ、初めてそこが無人駅なのだと気がついた。
 でも兄貴が言うには、これまで通過した駅はすべて無人だったらしい。わたしは下を見てばかりだったし、久実のことを考えていたから、ちっとも気がつかなかった。
 少ない乗客の半分がここで降りた。ほとんどが観光客のようだ。
 駅にはすでに人がいたけど、みんな車で来た人らしくて、乗車はしないで写真を撮っている。久実から夕日を見に来る人が多いと聞いていたけど、夕日がなくても人気のある駅らしい。
 ここが有名な駅だとわかっている兄貴は、海を眺めながら駅の端まで歩いて行った。自分がいる場所を、記憶に焼きつけているみたい。
 だけど、ここには久美に会いに来たのであって、観光で来たわけじゃない。時間が惜しいわたしは兄貴を追いかけて、早く行こうと言った。
 兄貴はここまで来れば、ほんの数分楽しんだところで何も変わらないだろうと、スマホで海の写真を撮り始めた。ムカッと来たわたしは、兄貴の手をつかんで無理やり駅の出口へ連れて行った。
 観光客が多いからなのか、列車はすぐには出発しないで停まったままだった。すると兄貴は、今度は列車が入った駅舎の風景を撮り始めた。
 海を背景にしたこの駅の写真は、ネットでもよく見られるらしい。でも列車が一緒の写真は、列車が来たときでなければ写せない。それを自分で撮れるものだから、兄貴は浮き浮きだ。一方のわたしはいらいらしたけど、兄貴が動かなければどうしようもない。
 わたしは仕方なく兄貴が写真を撮り終わるのを待つしかなかった。ため息をつきながら海を眺めたけど、確かに駅のすぐ向こうに海が広がる風景は素敵だと思う。でも、今のわたしにはせっかくの風景を楽しむ余裕はない。
 いらだちを抑えながら兄貴を待つ間、することがないわたしは改めて駅を見渡した。
 目に映るのは、あちらこちらで兄貴のように写真を撮る人たちばかり。停車中の列車の中の乗客は、わたしたちが降りたときとほとんど変わらない。新たに乗車したと思われるのは、手前の席に座る女の子一人だけだ。外の人間には人気スポットのこの駅も、地元の人にはあまり利用されないみたい。
 ようやく写真を撮り終わった兄貴は、わたしに文句を言われながら、スマホで郵便局の場所を調べてくれた。これだから兄貴に腹は立てても、あまり強くは言えない。
 幸いなことに、郵便局はこの駅からそれほど遠くなかった。方角を確かめたあと、わたしは急いで歩き始めた。なのに、横を見ると兄貴がいない。後ろを振り返ると、兄貴は自然を満喫しながらのんびり歩いていた。本当ならば学校でテストを受けているはずが、こんな所にいることが楽しくて仕方がないようだ。だけど、そんなの私には関係ない。
「もう、お兄ちゃん! 早くしてよ!」
 一秒でも早く久実の無事を確かめたいわたしは、大声で兄貴を呼んだ。わかったよといいながら兄貴は足を速めたけど、気がつけばまた同じようにのんびり歩いている。
 そんなことを繰り返しながら十分ほど歩くと、わたしたちは伊予灘郵便局に着いた。

 伊予灘郵便局は小さな郵便局だ。それでも町自体が小さなこの辺りでは、みんなが頼りにしている所なのだろう。小さな駐車場には車が三台止まっていて、もう一台が駐車場が空くのを待っている。
 他の人たちがいる所では、久美の話をしづらいので、わたしは車がいなくなるのを待った。何分待ったのかはわからないけど、待ちくたびれた兄貴は、またもやスマホで辺りの風景を撮影し始めた。そうしながら兄貴はどんどん郵便局から離れて行く。
 心細くなったわたしが呼んでも、兄貴は駐車場に車があるのを見ると、まだ大丈夫だと言って散策を続けた。
 しばらく経ってようやく最後の車が出て行ったとき、兄貴はかなり遠くまで行ってしまっていた。
「お兄ちゃん、早く戻って来てよ!」
 中の人に聞かれるのではないかと心配しながら、わたしは大声で兄貴を呼んだ。兄貴はやれやれといった感じで戻って来たけど、それでも悠々と歩いてる。早くしないと、次の車が来るじゃないのよ、馬鹿兄貴!
 わたしがかすと、兄貴はようやく小走りを始めた。だけど、それだって本気で走っているとは思えない。
 わざとらしく肩で息をしながら、わりわりぃと兄貴は悪びれずににやついた。わたしは兄貴をにらみつけると、郵便局の入り口の前に立った。だけど、そこで急に緊張感が膨らんで来た。もしここで久実の居場所がわからなかったら……。そう思うと、中へ入るのが怖かった。
「おい、何やってんだよ。中に入るんじゃねぇのか?」
 扉の前から動けずにいるわたしは、さっきとは逆に兄貴に急かされた。
「わかってるよ! 今、気持ちを落ち着けてんの!」
 声を荒げて言い返したものの緊張はほぐれない。わたしは大きく深呼吸をすると、覚悟を決めて足を踏み出した。自動扉がすっと開き、こぢんまりとした中の様子が目に入った。心臓がばくばくしてるけど行くしかない。そのために、ここへ来たんだから。
 わたしは入り口を入ったところで足を止めた。勇気を出して踏み込んだけれど、誰に話を聞けばいいのかがわからない。そんな所で止まるなよ――と後ろから兄貴に言われ、少しだけ前に進んだけれど、そこでまたわたしは立ち止まった。
 途方に暮れた様子のわたしに、いらっしゃいませ――と窓口の女性が声をかけた。後ろの兄貴に背中を押され、わたしは窓口の前に進み出た。
「あの、ちょっとお尋ねしたいことがあるんですけど」
 はい、何でしょう?――と微笑む女性に、わたしは久実からの封筒を見せ、この消印がここで押されたものかを、まず確かめた。
 確かにここですと、その女性がうなずくと、わたしは封筒の裏に書かれた久実の名前を見せ、この子のおばあちゃんの家を知りたいと訴えた。
 突拍子もないことを尋ねられて、窓口の女性は当惑した様子だった。他に客がいなかったので、隣の窓口にいたもう一人の女性や他の局員たちも集まって来て、代わる代わる久実の名前を見た。
「これぎりじゃ、わからんぜ……」
 頭にゴマをふったような年配の男の人が、封筒を見ながら首を捻った。
「あの、最近おばあちゃんが倒れて入院したそうなんです。危篤だって言うんで、それで久実はおばあちゃんのお見舞いに来たんです!」
 ちゃんと説明になったか自信はない。でも、わたしは久実との関係や久実のおばあちゃんについて、持っている限りの情報を伝えた。
「おばあちゃんの名前はわからんかな? 兵頭さひょうどう ん言うたら何軒もあるけんなぁ」
 ゴマふり頭の局員の言葉に、わたしは首を横に振った。すると、初めの女性とは別の窓口にいた女性がわたしに言った。
「ほれにしたかて、なんでわざわざこの子に会いに来たん? この子は用事が済んだら東京へ戻るんやないん?」
 その言い方が少し冷たく聞こえたので、わたしは手紙の中身を見せて、この文面にはすごく嫌な感じがすると訴えた。
 それがどういう意味なのかは伝わったみたいだけど、わたしの言い分を素直に受け取ってもらえたわけではないようだ。女性は他の局員たちと困惑の顔を見交わしている。
 このまま相手にしてもらえなかったら、すべてはおしまいだ。わたしの中で不安が大きくなって行く。兄貴を振り返っても、兄貴も何も言えない様子だ。
 そのとき、初めの女性がみんなに声をかけてくれた。 
「この兵頭久美いう子が、実際のとこどがぁなんかはわからんけんど、この子ら、こがぁしてとわいとこから、わざわざここまでおいでたんやけん、何とかしちゃろや」
 女性の言葉で雰囲気が変わり、どうしたものかとみんなが考え始めてくれた。わたしはこの女性を拝みたくなった。とは言っても、すぐに名案が浮かぶわけではない。次の客が来てしまえば、そこまでになってしまいそうだ。
 そのとき恰幅かっぷくのいい男の局員が、ひょっとして――と言った。
「先日亡くなった総子ふさこさんやなかろか? 確か、昨日が葬式やったと思うけんど」
 わたしは顔から血の気が引くのを感じた。その人が久美のおばあちゃんだとしたら、きっと久実は深く落ち込んで泣いているに違いない。
 初めの窓口の女性がうなずいて言った。
「ほうじゃねぇ。ほうかもしれんね。入院しよるばあちゃんやったら、他にもおるかもしれんけんど、危篤やった言うんなら、亡くなった総子さんがほうなんかもねぇ」
「そこの家の場所、教えてもらえますか?」
 わたしはその窓口の女性にお願いし、後ろにいる他の局員たちの顔を見た。
「ほやけど、個人情報やけんなぁ」
 恰幅のいい局員があごに手を当てながら言った。すぐさま窓口の女性が後ろを振り返り、局長!――と叫ぶように言った。
「さっきも言うたけんど、この子らとわいとこから、学校休んでまでして友だちを探しに来たんで? ほれやのにそげなこと言いよったら、伊予の人間の恥になるで!」
 どうやらこの恰幅のいい人は局長らしい。でも、ここで一番強いのは、この女性のようだ。ほおを膨らませながら局長が口をつぐむと、女性はわたしたちの方に顔を戻した。
「兵頭さんとこは、こっからちぃと離れとるけんど、あんたら、車で来たん?」
 わたしが首を振ると、わたしに代わって兄貴が、列車で来ましたと答えた。
 女性はふーむとうなり、歩いて行けんこともないけんど――と思案げに言った。
「歩いて行きますよ。どのくらいかかるんですか?」
 兄貴が尋ねると、三十分ぐらいかなと女性は言った。それから女性はまた後ろを向き、ゴマふり頭の男性に声をかけた。
中村なかむらさん、今、いとろ? 悪いけんど、この子らを車で運んでやってくれん?」
「何ぜ、その言い方は。まるでわしがぶらぶらしよるみたいやないか。まぁ、車やったら大した時間はかからんけん、行ってやってもかまんがな」
「じゃったら、運んだってや」
 女性に言われた中村さんは、素っ気ない様子でわたしたちに外を指差すと、裏口から外へ出て行った。
「ほら、あんたらも外にぇや。中村さんが車出してくれるけん」
 女性が笑顔でわたしたちをうながした。
 二人でお礼を言ったあと、わたしと兄貴は急いで外へ出た。そこへ中村さんが現れたけど、中村さんの車は軽トラックだった。
 軽トラックが珍しい兄貴は目を丸くして、これに乗るんですかと中村さんに尋ねた。
 おうよと中村さんがぶっきらぼうな声を出すと、すげぇと兄貴は喜んだ。それで気をよくしたのか、中村さんはにやりと笑って言った。
「普段はバイクでよるんよ。局長もバイクやし、窓口のねえやんらは自転車よ。ほんでも今日はバイクの調子がいけんかったけんな。しゃあなしにこれで来たんぜ」
「でも、三人は乗れないんじゃ……」
 わたしは思わずつぶやいた。見たところ、座席は運転席と助手席だけだ。助手席はトラックみたいに広くない。
ねえやんが助手席ぜ。にいやんは荷台でよかろ。何、ちぃとの距離やけんかまん構ん」
 そんな乗り方をしてもいいのだろうかと、わたしはちょっと心配になった。
 でも、兄貴は荷台に乗ることが刺激的なようだった。中村さんが荷台の後ろの衝立ついたてみたいな部分を手前に倒すと、兄貴はそこから荷台の上にひらりと飛び乗った。
「ほぉ、にいやんは身軽じゃな」
「そうですか? これぐらい誰だってできますよ」
 そう言いながら、兄貴の鼻の穴は得意げに膨らんでいる。中村さんは笑っていたけど、その笑みを消して兄貴に言った。
「ひょっとパトカーが来たら、そこにべたっと横になって見えんようにしよってくれよ。見つかったらめんどいけんな」
 やっぱり、これはまずいことらしい。だけど、もう乗るしかない。兄貴はパトカーと聞いて目を輝かせている。
 わたしの気持ちを見透かしているのか、中村さんはこちらを向いて口元を少しだけにやりとさせると、荷台の後ろの衝立を元に戻した。