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久実からの手紙

 熱が下がり、酸素マスクも取れた頃、わたしは一人部屋から四人部屋へ移された。
 その部屋には、わたしの他に二人の患者がいた。だけど一人が昨日のお昼過ぎ、もう一人が今朝退院して、部屋はわたしの貸し切りになっていた。
 そんなところに宮中みやなか満里奈まりな山田やまだ早紀さきが見舞いに来てくれた。二人ともわたしの姿を見るなり泣き出した。わたしが死ぬかもしれないと思っていたらしい。
 満里奈はクラスのみんなが心配していると言い、早紀は早く学校へ戻って来て欲しいと言ってくれた。
 二人が来てくれたことは素直にうれしかったけど、意外でもあった。わたしは信用ならない大ボラ吹きだったはずだ。
 そのことを言うと、二人はそのようには思っていないと言った。その理由は、自分たちがうそをつかれたわけではないし、真弓まゆみたちの言い分をそのまま信じたりもしていないかららしい。
 ただ、あのときにわたしに声をかけなかったのは、事情がよくわからず、自分たちが関わるべきかどうか迷ったからだそうだ。
 それでも満里奈は何があったのかを、昼休みにわたしから聞くつもりだったらしい。ところが、わたしがさっさと帰ってしまい、そのまま学校へ出て来なくなったので、話を聞きそびれたのだと言う。
 早紀も自分も同じだと言い、ずっとわたしのことを心配していたそうだ。
 中には真弓たちの言い分だけを聞いて、わたしを悪く見た者もいたらしい。でも、わたしが嘘をつくことになった理由を、早苗さなえがみんなに説明してくれたそうで、それでわたしを悪く見ていた者も見方を変えたということだった。でも真弓と百合子ゆりこにとっては、それは逆風が吹き出したという意味になる。
 満里奈たちはその話をわたしに伝えたかったそうだけど、わたしは部屋に閉じ籠もって母の話さえ聞こうとしなかった。それでその話を聞かないまま、わたしは重傷の肺炎になって入院した。
 実際、わたしはかなり危ない状態だったようで、満里奈たちはわたしが死ぬのではないかと、気が気でなかったと言う。真弓と百合子はみんなから責められたらしいけど、それでも自分たちは悪くないと強気を見せていたそうだ。
 ところが、そのあと事件が起きたと満里奈たちは言った。
 心配したとおり、三組の前田まえだ健二けんじが真弓に恋文を渡しに来たと二人は言った。
 前田は真弓を人がいない場所へ誘ったそうだけど、用があるならここで言ってと、真弓は教室を出ようとしなかったそうだ。それで前田が真弓に手紙を渡したら、なんと真弓はその手紙をその場で広げて読み上げたと言う。その上で真弓は前田に、自分はあんたには全然興味がないと言い放ったそうだ。
 真弓がそんなことをしたのは、わたしのことで旗色が悪くなっていたからじゃないかと思うと早紀は言った。どういうことかと言うと、自分は何も悪くないから責められても平気だし、こんな人気者なのだと、みんなにひけらかしたかったのだろうということだ。
 本当のところは本人から聞いてみないとわからないけど、確かにそうかもしれないとわたしも思った。真弓の気位の高い性格を考えると、誰かを見下すことはあっても、自分が低く見られることは受け入れられないに違いない。
 前田にすれば、相当な勇気を出して手紙を書いたのに、みんなの前で大恥をかかされたわけだ。その前田に真弓は借り物競走で前田を選んだ理由を説明し、自分に気があると思い込んだ前田を馬鹿にして笑ったと言う。
 前田はそのまま学校を飛び出して行方ゆくえくらまし、三組の生徒たちが手分けして探したのだと、早紀は腹立たしげにしゃべった。
 わたしが真弓と百合子に嘘をつくことになったきっかけは、二人が転校生の久美くみを馬鹿にしたからだ。その話を早苗から聞いていた早紀も満里奈も、真弓に嘲笑された前田と久美が重なって見えたと言った。そして、こんな真弓たちに同調するのが嫌で、わたしが嘘をついたのだと改めて理解したそうだが、他の者たちも同じことを口にしていたらしい。
 結局、前田は体育倉庫の裏で一人で泣いているところを見つかった。
 三組の生徒たちは前田を教室へ連れ戻したあと、怒って真弓の元へ押しかけて来たと言う。それは大変な騒ぎで、下手へたをすればクラス同士の大喧嘩おおげんかになりかねない状況だったようだ。ところが一組の生徒で真弓をかばおうとする者は、一人もいなかったそうだ。百合子でさえもが、前田をさらし者にした真弓の行為を、やり過ぎだと言ったらしい。
 三組の生徒たちからつるし上げを食った真弓は、泣き出しはしたものの、前田への謝罪はがんとして拒否したと言う。それで頭に来た三組の生徒たちは、真弓につかみかかったそうだ。谷山たにやまが止めようとしても、騒ぎは収まらなかったようだ。
「そこにね、真弓たちが馬鹿にしてたっていう二組の兵頭っ ひょうどう て子がね、やめや!――て言いながら割って入ったの。それで、その子が真弓を抱きかかえてかばったのよ」
 満里奈が言葉を切ると、早紀が興奮気味に言った。
「あのときは、みんな驚いたよ。だって、全然関係ないはずの二組の子がさ、たった一人でそんなことするなんて、誰も思ってなかったからさ」
「て言うか、あの子だって真弓たちから馬鹿にされてたんでしょ? そのことに気がついてたんだとしたら、信じられないことだよね」
 付け足して喋った満里奈の言葉に、早紀も大きくうなずいた。
 わたしも驚いた。どうして久美がそんなことをしたのかわからなかったし、久美の中にそんな強い勇気があったとは知らなかった。
 わたしが話の続きを求めると、早紀が話してくれた。
「それであの子ね、大勢で一人の人間を寄ってたかって責め立ててどうするんだって、みんなに言ったのよ。そしたら誰かが、こいつが悪いんだって言い返したわけ。そしたらあの子、やるなら一人でやれって言って譲らなかったんだ」
 すごかったよねと早紀は真弓とうなずき合った。谷山でさえ止めることができなかった騒ぎを、女子の久美が一人で止めたことに、早紀たちは感動を覚えたと言う。
 そしたらさ――とわたしに顔を戻した満里奈が言った。
「あれだけ謝らないって言ってた真弓がね、前田くんに謝るって言い出したんだ」
「ほんとに?」
「ほんとよ。あたし、あの子、すごいなぁって思ったんだ」
 満里奈の言葉に早紀もうなずいていたけど、でもね――と言った。
「すごい騒ぎだったから、二組の子たちも見に来てたんだけどね。その中の女子でさ、何を偉そうに!――て、その子のことを悪くいうやつがいたんだ」
 満里奈も続いて言った。
「あの子、転校生でしょ? その女子が言うにはね、あの子は前の学校でいじめ問題を引き起こして、それで学校にいられなくなって、こっちへ逃げて来たそうなの。向こうの学校で喧嘩して、何人も怪我させたんだって」
「何よ、それ! そいつ、何を根拠にそんなでたらめを言うわけ?」
 そんなことを言うのは、創作ダンスで久美に足を引っかけて転ばせたあの女子に違いない。頭に血が昇ったわたしは、自分がその場にいなかったことが腹立たしかった。
 憤る いきどお わたしを二人は慌てたようになだめた。興奮すると、また病状が悪化すると思ったようだ。
 わたしが落ち着くと、満里奈が言った。
「今、スマホで何でも調べられるじゃない。その子、それで調べたらしいのよね」
 わたしがまた興奮しそうになると、早紀がもう一度わたしをなだめて言った。
「あたしたち、何も確かめてないから、本当のことはわかんないけどさ。とにかく、あの子はあの騒ぎを収めてくれたんだから、それはそれでしょ?」
 久美をかばっているつもりかもしれないけど、早紀の言い草にわたしはカチンと来た。
「久美はそんなことする子じゃない! スマホにどんな情報があるのか知んないけど、そんなの全部でたらめよ。そんなのを鵜呑うのみにする方が馬鹿なのよ!」
 今度は満里奈がまぁまぁと両手でわたしを制して、とにかくさ――と言った。
「問題は真弓が前田くんを晒し者にしたってことだからね。誰も二組の女子のピンボケた話なんか相手にしなかったよ」
 早紀も笑顔で、そうそうと言った。
「結局さ、その女子は二組のテニス部員に連れて行かれて、それでおしまい。そのあとも兵頭って子の噂が出ることもなかったからさ。何も気にすることないよ」
 そうは言っても、わたしは久美が心配だった。それで、そのあと久美はどうしたのかと尋ねたが、早紀と満里奈は顔を見合わせて、わからないねと言った。それから早紀が弁解するように言った。
「その女子に何も言い返さなかったし、いつの間にかいなくなってたからさ」
「二組でも何も問題はなかったの?」
「隣のクラスのことだからさ。あたしもよくわかんないよ」
 当惑する早紀に代わって満里奈が言った。
「でも、何かあったって話もないから、おそらく何もなかったんじゃないかな」
 二人はこの話を切り上げたいようで、いつ退院できそうなのかと話題を変えた。わからないけど近いうちだと思うと話すと、もう中間テストが始まるから、学校へ出て来るのはそれが終わってからがいいよと早紀が言った。
 中間テストと言われて、わたしはぎくりとした。元々勉強ができていないところに、学校を長く休んでしまったから、今テストを受ければほぼ0点なのは間違いない。
 このままテストを逃れたとしても、勉強が遅れた分はこれからがんばって取り戻さなければならない。そのことを考えると、このままずっと入院していたくなる。それでもやはり久美のことは気になった。
 学校を飛び出したとき、わたしは久美と谷山の仲を疑った。だけど、今はそんなことはどうでもよかった。
 わたしは今回のことで相棒である身体のわたしはもちろん、家族の大切さを知った。それと同じように、わたしにとって久美は大切な存在だ。
 久美と谷山が好き合っていたとしても、久美が大切であることには変わりがない。そのことにも今回の体験はわたしに気づかせてくれた。わたしは久美が笑顔でいてさえくれればそれで満足だ。
 早く久美に会いたいけど、久美はまだ見舞いには来てくれていない。わたしの回復を耳にしたなら、一番に会いに来てくれそうなものだけど、わたしは家に訪ねて来てくれた久美を無視したし、久美がくれた電話にも出なかった。そのことで久美が気を悪くしていたなら、そのことを謝りたかった。そして前のような関係に戻りたかった。

 満里奈と早紀が帰ってしばらくすると、今度は早苗と谷山が来てくれた。
 思いがけない取り合わせに驚いていると、谷山が照れながら、早苗と一緒に来たわけではなく、たまたま下で一緒になったのだと弁解した。
 早苗が来てくれたことには、わたしは驚かなかった。でも谷山が見舞ってくれるとは、夢にも思っていなかった。
 初めに早苗が顔を見せたときには、自然に笑顔が出た。でも、その後ろに谷山が姿を現すと、わたしは驚きを通り越して、頭の中の配線が切れたようになった。
 でも、谷山も緊張していたみたいだった。もう大丈夫なの?――と早苗は聞いたけど、谷山は突っ立ったまま、わたしが早苗と喋るのを横で黙って聞くだけだった。早苗が気づいて声をかけなければ、谷山は最後まで喋らなかったかもしれなかった。
 早苗は小さな花束をわたしにくれた。わたしはお礼を言ったあと、満里奈たちから聞いたよと言った。
「サッチー、みんなの前でわたしのこと、かばってくれたんだって?」
「え? いや、だって、元はと言えば、わたしが悪いから……」
 下を向いた早苗に、そんなことないよとわたしは言った。
「ほんとに悪いのはわたしなの。サッチーじゃないよ。わたしが自分を悪く見られたくなくて、ほんとの気持ちを相手にはっきり伝えなかったのが悪かったんだ。だからね、サッチーは悪くないんだよ」
「だって、わたし……」
「まぁ、馬鹿正直っていうのは、ちょっと考えた方がいいかもしんないけどさ」
 わたしが笑うと、早苗も泣きそうな顔で笑った。その横で話がよくわからない谷山が、重そうな袋を抱えたまま当惑している様子だ。
「谷山とは関係ない話をしちゃった。ごめんね」
 わたしが謝ると、いいよいいよと谷山は笑顔を見せた。
「ところで、その袋は何? もしかして、わたしへのお見舞い?」
 わたしに聞かれると、谷山は待ってましたとばかりに、その袋をベッドの上に載せた。その重みでマットがずんと沈むと、わたしは何だろうと言って早苗と顔を見交わした。
「これさ、オレのお気に入りの漫画なんだ。落ち込んだときなんかさ、これ読むと元気が出るからさ、白鳥しらとりにもいいかなって思って持って来たんだ」
 漫画と聞いて目を輝かせた早苗が、どんな漫画かと尋ねると、谷山は袋の中から一冊を取り出して、冒険物だと言った。それから物語についての谷山の熱い説明が始まった。興奮した早苗は、わたしが読み終わったあとは自分に貸して欲しいと谷山に懇願した。
 谷山はうれしそうに笑うと、いいぞと言った。それから二人は漫画談義をして、それぞれの好きな漫画の話に夢中になった。まったく、ここへ何をしに来たのやらだ。
 話が一段落したところで、ずっと心配してたんだぞ――と谷山はわたしに言った。
 あのとき、谷山も何があったのかがわからないまま、わたしに何と声をかければいいのか悩んだらしい。それで、わたしと仲がいい久美が何か知っているのではないかと思い、昼休みに久美から話を聞いていたら、わたしが学校を飛び出したのが見えたと、谷山は申し訳なさそうに言った。
 久美と谷山の関係を誤解していたわたしは、自分の愚かさが許せなかった。せっかく家まで訪ねてくれたり電話をくれた久美を、無視してしまったことが改めてやまれた。
 気持ちが顔に出たようだ。谷山と早苗が大丈夫かとわたしに聞いた。わたしは笑顔を繕って、ちょっと疲れただけで大丈夫と言った。
 早苗はわたしを気遣きづかい、そろそろおいとましようかと谷山に言った。わたしは慌てて、大丈夫だからもう少しいてと、二人を引き留めた。谷山は迷っていたけど、結局話を続けた。
「オレさ、さっさとお前から直接話を聞くべきだったって、ずっとやんでたんだ」
「ありがとう。だけど、何で谷山が悔やむの?」
「え? だって、そんなの当たり前だろ? 同じ一組の仲間が大変なことになったら、誰だって何とかしようって思うじゃん」
 そうじゃないから、学校を飛び出すことになったんだってば。だけど、まぁいいか。
「谷山って優しいね。男子でお見舞いに来てくれたの、谷山だけだよ」
「え? そうなのか? まぁ、みんな恥ずかしがり屋だからな」
 谷山は照れたように笑ったが、何だかうろたえているみたいでもあった。

白鳥しらとりさん、検温です」
 若い女性の看護士が入って来た。早苗と谷山はわたしから離れて、看護師に場所を譲った。
 看護士はてきぱきとわたしの状態を確かめ、明日のレントゲン検査と、血液検査で異常がなければ、退院の許可が出ると思うと言った。
 看護士が出て行くと、谷山もそろそろ帰ると言った。
 もう少しいて欲しかったけど、これ以上は恥ずかしくて言えない。来てくれてありがとうと言って、持って来てもらった漫画は退院しても必ず読むからと約束した。
 谷山は病室の戸口まで行くと、もう一度戻って来た。それで、元気になったら絶対に学校へ戻って来いよ――とわたしに約束を迫った。
 拒むことができず黙ってうなずくと、谷山は安心したように笑った。
「待ってるからな」
 谷山はそう言い残して帰って行った。

「谷山くん、白鳥さんのことが好きなんだね」
 谷山を見送った姿勢のまま、早苗がぽそりと言った。
「ちょっと、何言ってんのよ!」
 わたしは思わず否定したけど、顔が熱い。きっと真っ赤になっているに違いなかった。
 早苗は振り返ると、絶対にそうだよ――と楽しそうに言った。せっかく熱が下がったと言うのに、早苗はわたしの退院を長引かせるつもりらしい。
「それよりさ、久実はどうしてるの? 元気にしてるかな?」
 わたしは急いで話題を変えた。それに早苗なら久美のことを知っているんじゃないかと思っていた。
 ところが早苗は暗い顔になって、最近兵頭さんには会っていないと言った。理由を尋ねると、自分のせいでわたしが学校に出られなくなったから、久実に顔を合わせられなかったと言う。
 わたしは満里奈たちから、真弓と前田の騒動のことを聞いたと話し、そのときに久美が真弓をかばったそうだねと言った。
 早苗はうなずくと、兵頭さんはとても勇敢で立派だったと言った。
 二組の女子が久美をおとしめるようなことを言ったらしいねと聞くと、ひどい人だと早苗も思ったそうだ。それでもその女子が言ったことが気になって、早苗は自分でもスマホで調べてみたと言う。そう、早苗はわたしや久実と違って、スマホを買ってもらっていた。
「そしたら、本当にそんな書き込みをしている所があってね。わたし、兵頭さんに何て声をかけたらいいのかわかんなくって……。ただでも顔を合わせにくいのに、余計に話ができなくなっちゃったの」
「そんなこと、わざわざ調べたの?」
「だって、気になったから……」
 沈黙が続いたあと、わたしはそんな話は信じないと言った。
「人の悪口言う人なんて、平気で勝手なことを言うからね。そうやって、騒ぎが大きくなるのを隠れて見るのが楽しいのよ。だから、わたしはそんなの信じない」
「わたしも信じたりしてないよ」
 早苗が訴えるように言った。早苗が嘘をつくはずがないから、わたしは早苗を信じると言った。だけど、久実のことが心配だ。
「久実、どうしてるんだろう? 大丈夫かな?」
「本人から直接聞いたわけじゃないから、本当かどうかわかんないんだけど……」
 早苗はさっき谷山から、ちらりと話を聞かされたと言った。
「わたしも兵頭さんのことが気になったからね。それとなく谷山くんに聞いてみたの。そしたらね、田舎のおばあちゃんが倒れたみたいだって。谷山くん、ここ何日か兵頭さんの顔を見てないから、もしかしたら、おばあちゃんの所へ行ってるのかもしれないって」
 わたしは驚いた。久実のおばあちゃんと言えば、あの夕日の言葉を久実に語った、久実が大好きなおばあちゃんだ。わたしもいつか会ってみたいと思っていた、あのおばあちゃんが倒れたなんて、とても他人事には思えない。ましてや久実にすればこれは一大事だ。
「おばあちゃん、大丈夫かなぁ?」
 わたしが心配すると、早苗は明るく言った。
「きっと大丈夫だよ。うん、絶対大丈夫!」
 早苗も久実のおばあちゃんのファンだった。わたしを安心させるみたいに喋ってるけれど、本当はそうやって自分を安心させようとしているのだろう。
 久美やおばあちゃんのことは心配だけど、ここにいてはどうすることもできない。それでわたしは話を変えて、自分が死にかけていた間に経験したことを早苗に話した。
 早苗は半分開けた口を閉じるのを忘れたまま、わたしの話に聞き入っていた。でも、途中で思い出したようにメモをバッグから取り出すと、わたしが話す生き物たちや、世界の様子を懸命に書き留め出した。
 わたしが話を終えると、いつかこの話を漫画にさせて欲しいと早苗は言った。わたしは喜んで承諾した。
 このメモは宝物だと言って、早苗はメモをバッグに仕舞った。それから早苗は自分の両方の手のひらを見つめ、その手で自分の身体を抱いた。
「わたし、今の今までこの身体が自分だって思ってた」
 早苗は自分の身体に、いつも一緒にいてくれてありがとう――と言った。
 早苗って本当に素直な子だなって、わたしはうれしくなった。
 早苗に刺激されて、わたしも改めて自分の身体に感謝して、大好きだよと伝えた。早苗は身体の中が温かくなった気がすると言ったけど、わたしも同じだ。きっと風船たちが喜んでくれているのだろう。
 早苗は人差し指で鼻を押さえながら、それにしても――と言った。
「白鳥さんが見た光って、何だったんだろう?」
 それはわたしも考えていたことだ。天使だろうか、本当の神さまだろうかなどと、二人で言い合ったけど、結局、答は出て来なかった。
「わたしも白鳥さんみたいな経験がしてみたいなぁ」
 早苗がうらやましそうに言った。
「死にかけたいわけ?」
 わたしが笑いながら言うと、早苗は首を横に振った。
「そうじゃなくて、不思議な体験がしてみたいなって思っただけ」
「わたし、思うんだけどね。あの光はわたしに大切なことを思い出させてくれたけど、それは、わたしがい加減なことばっかりしたまま死にそうになったからだよ。もし、わたしがいろんなことに感謝することを忘れないでいたら、自分がこの身体の神さまだってことを覚えていなくても、あの光は出て来なかったと思うんだ」
「どういうこと?」
「つまりね、本当に思い出すべきことっていうのは、何に対しても感謝の気持ちを持つってことなのよ。感謝できるってことは、相手とのつながりを感じてるってことでしょ? それは相手にとっても自分にとっても幸せなことなのよ。わたしはその幸せがわからなくなってたから、そのことを光の存在が思い出させてくれたって思ってるんだ」
「だけど、わたし、光の存在に会ってみたいな」
「いつか会えるよ。すぐには会えなくてもね、早苗の光の存在は、いつでも早苗のそばにいてくれてると思うよ。それで、つらいことがあってもね、早苗がそれを乗り越えるのを、じっと見守ってくれてるのよ」
 早苗はわたしの顔をじっと見つめて言った。
「何だか白鳥さん、前とずいぶん変わったみたい」
「変わったのよ。何も知らなかったわたしから、いろいろ学んだわたしに変わったの」
 わたしは自分が成長したと自覚していた。物事を一段高い所から見ているような気分だった。以前ならそれを得意に思っただろうけど、何故か今は特別なことに思えない。

 夕方になると、母と兄貴が来てくれた。
 これが来てたよ――と母は封筒をわたしに手渡した。表にはわたしの名前と住所が書かれ、裏には久美の名前があった。家に届いたのは一昨日の金曜日だったそうだけど、持って来るのを忘れていたらしい。
 わたしは急いで封を開けた。中には手紙が入っていた。
 手紙はわたしを気遣い心配するものだった。谷山から事情を聞かされて驚いたことや、わたしの家を二度訪ねたけれど、会うことができなかったことも書かれていた。
 わたしが真弓たちから吊し上げられたことを、久実は自分のせいだと悔やんでいた。わたしが久美と友だちになったから、真弓たちとの関係こじれて、こんなことになったと久美は考えていたらしい。
 わたしが重症の肺炎になったと知ってから、久実はわたしが元気になるよう、毎日祈り続けてくれていたそうだ。でも、おばあちゃんが突然倒れて危篤状態になったので、わたしの回復を確認できないまま、母親と二人で愛媛えひめへ戻ることになったとあった。
 今は新幹線の中にいるので、おばあちゃんの状態はわからないけど、おそらくだめなのではないかと久実は書いていた。この文面を見ると、悲しそうな久実の顔が目に浮かぶ。
 久実はわたしの見舞いをできないことをび、この手紙が届く頃には、わたしが回復に向かうと信じているとあった。でも本当は不安と心配でいっぱいに違いなかった。
 手紙の最後の方には、自分なんかを親友と言ってくれて、素敵な絵まで描いてくれたことを感謝してるし、このことは死んでも忘れないとつづられていた。読んでいて、わたしは何だか嫌な気持ちになった。
 春花、今までだんだんありがとう――これが締めくくりの言葉だった。この言葉に、わたしはひどく違和感を覚えた。これは感謝を示しつつ、別れを示唆しさしているように見える。久実はわたしが助からないと思ったのだろうか? 
 直接連絡を取って、肺炎がよくなったことや、学校へ戻ることなどを、わたしは久実に伝えたかった。だけど、久実はわたしと同じで携帯電話を持っていない。久実のおばあちゃんの家の住所も知らないから、連絡の取りようがない。
「その子、あなたが仲よくしてた子でしょ?」
 わたしが手紙を読み終えるのを待って、母が声をかけた。
 わたしは母に手紙を見せて、久美がわたしのことで自分を責めているから、何とかして連絡を取りたいと訴えた。だけど母には、久実が戻るまで待つしかないと言われた。
 兄貴に意見を求めても、どうしようもねぇだろ?――とこっちも素っ気ない。でも、そう言いながら、手紙を回された兄貴は、封筒の切手に押された消印を確かめた。
伊予灘いよなだ郵便局って書いてあるな。その子は、この郵便局の近くにいるのかもな」
 兄貴の言葉は一筋の光明だった。わたしは退院したら、その足で四国しこくへ行くと言った。すると、母がすかさずわたしの言葉を否定し、兄貴をにらんだ。
しょうちゃん、余計なこと言わないでちょうだい! やっとこの子が退院できて、学校にも戻れるようになったのに、何言ってんのよ!」
 思いがけず母にしかられた兄貴は、口をとがらせて言った。
「オレはただ手紙の消印が、伊予灘郵便局って書いてあるって言っただけじゃん。何も春花にそこへ行けって言ったわけじゃねぇよ」
「そこへ行けって言ってるのと同じでしょ? 屁理屈こねないの!」
「お母さん、お願い! わたしを四国へ行かせて!」
 わたしは母に頼み込んだ。だけど、母の態度は変わらない。
はるちゃんね、あなた、今回のことで、どれだけみんなに心配かけたのかわかってる? あなた、もうちょっとで死ぬとこだったのよ?」
「それはわかってる。でも、このままだと久実が危ないの!」
「何が危ないのよ? おばあちゃんが危篤だから、お母さんと一緒に四国へ戻っただけでしょ? いずれは帰って来るんだから、そのときまで待ってればいいことじゃない!」
 母の言うことはもっともだ。でも、この手紙には文字には表れていない、久実の想いが書かれてある。それが母にはわからない。
 わたしは早紀たちや早苗が言ったことも気になっていた。久美が前の学校でいじめ問題を引き起こしたなんて、わたしはこれっぽっちも信じていない。だけど、前の学校で久美に何かがあったのだとは思う。そして今回のことだけでなく、そのことも久美を苦しめているように思えていた。
 母さんの言うとおりだな――と、兄貴は他人事のように言った。
 わたしは兄貴から手紙を奪い取ると、胸に抱いて泣いた。妹の涙にうろたえたのか、兄貴は言い訳をした。
「さっきの伊予灘郵便局ってさ、その子のばあちゃんの家の近くの郵便局とは限らないよな。ひょっとしたら、大阪おおさかとか松山まつやまの郵便局かもしれないぜ」
「そんなの、調べてみないとわかんないじゃないの!」
「そりゃ、そうだけどさ」
 わたしの剣幕に兄貴は口ごもった。でも、母はがんとして聞く耳を持ってくれなかった。
「とにかくお母さんは許しませんからね。そんな病み上がりの体で四国へ行くだなんて、とんでもない話よ。それにあなたが元気だったとしても、今のうちにはそんなお金はありません。わかったら、この話はおしまい。今晩ちゃんとご飯食べないと、退院の話だって取り消しになっちゃうからね!」
 わたしには反論できなかった。兄貴も黙って肩をすくめただけだ。わたしはうなだれるしかなかった。