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おばあちゃんの夕日

「ほら、着いたぞ。急げ!」
 突然兄貴に揺り起こされたわたしに、運転席から中村なかむらさんが叫んだ。
「ここはオレたちで何とかする。お前は早く行け!」
 わたしは自分がどうなっているのかがわからなかった。だけど、兄貴は手を伸ばして助手席のドアを開けると、わたしを放り出すように外へ出した。そのとき後方に停まっていたミニパトカーから、男女の警官が降りて来るのが見えた。それで、ようやくわたしはどんな事態になっていたのかを思い出した。
「急げ! もう日が沈むぜ!」
 もう一度中村さんが叫んだ。だけど、どっちへ行けばいいのかわからない。
「どこへ行けばいいの?」
 きょろきょろするわたしに、中村さんは道がある場所を指差すと、ドアを開けて外へ出た。兄貴も出て来ると、わたしの肩をたたいて、時間がない、走れ!――と言った。
 わたしが言われた方へ走り出すと、待ちなさい!――と警官が叫んだ。だけど、止まってなんかいられない。走りながら後ろを振り返ると、兄貴と中村さんが警官たちの方へ歩いて向かっているところだった。
 すると、男性警官がわたしを追いかけようとした。それを兄貴が捕まえて格闘みたいになった。それを見た女性警官がわたしの方へ駆け出そうとしたけど、それも中村さんが両手を広げて阻止してくれた。
 ――お兄ちゃん、中村さん、ありがとう。
 心の中で二人に感謝しながら、わたしは鬱蒼うっそうとした木々のトンネルの中に飛び込んだ。
 夕闇に包まれている中での木々の陰は、もう夜が来たみたいに暗かった。そのことはわたしを不安にさせた。天女は消えたけど、久美くみがどうなったのかまではわからない。
 久美が最後にわたしに言った言葉が、わたしへの別れの言葉だったように思えて、わたしは走りながら泣いた。
 病み上がりで体力がない上に、呼吸も完全に元には戻っていないけど、わたしは止まることができなかった。暗くて足下が見えにくいところを、息を切らせながら走るので、わたしは何度もつまづきそうになった。足も思ったように上がらないし、苦しくて気が遠くなりそうだ。
 だけど、それは体のわたし・・・が必死になって、わたしのためにがんばってくれているってことだ。わたしは体のわたし・・・に感謝しながら、もう少しだからがんばってと声をかけた。するとその声が届いたのか、心なし苦しさが楽になったような気がした。
 どれぐらい走っただろう。こんなにがんばって走ったのは生まれて初めてだ。だけど、それで自分を褒める気にはならない。だって、だって……、木のトンネルを抜け出ても明るくないもの。海を見ても太陽はどこにも見えない。もう沈んでしまったんだ。
 わたしは間に合わなかった。夕日が沈む前に、久美を見つけることができなかった。久美は……久美は……。
 わたしは泣きながら走り続けた。走ると言っても、ほとんど足が動いていない。木のトンネルを抜けたあとも、誰もいない細い道がくねくねと曲がりながら続いている。どこまで行けばいいのだろう。灯台はまだ見えない。
「久美……、久美……」
 わたしは倒れそうになりながら、久美の名前を呼び続けた。悲しみに沈みながら灯台を探すわたしの頭には、久美が見ていた風景があった。久美は灯台のすぐそばではなく、少し離れた所から、灯台と海と夕日を一緒に眺めていた。
 ついに灯台を見つけたわたしは、久美がいたであろう場所を探し求めた。だけど、その場所へ行くのが怖くもあった。
 海を見渡しても、水平線のどこにも太陽は見えない。余韻よいんのような茜色の あかねいろ 空があるばかりだ。やはり夕日は沈んでしまった。
 終わった。すべては終わったんだ。わたしは間に合わなかった。ようやくここまで来たのに、わたしは久美を助けることができなかった。
 わたしは子供みたいに泣きじゃくりながら、久美の名を呼び続けた。そして、久美がいたと思われる方へ、よろよろと歩いて行った。すると――
春花はるか? 春花なん?」
 夕闇の中から久美の声がした。
「久美? 久美なの?」
 わたしはどこにいるかわからない久美に向かって、力の限り叫んだ。
「春花! やっぱし春花や!」
 再び久美の声が聞こえたと思うと、前方の薄闇の中から、誰かが駆け寄って来るのが見えた。その誰かは近づいて来るにつれて、姿がはっきり見えて来た。
 息を弾ませながらわたしのすぐ前まで来たその誰かは、まぎれもなく久美だった。もう死んだと思っていた久美だった。わたしの親友であり、わたしの分身である久美だった。
「春花、入院しよったはずやのに、こがぁなとこまでうちを探しに来てくれたんか」
 わたしはうなずくと、久美を抱きしめて号泣した。何を言おうとしても、出て来るのは涙ばかりだった。
 久美もわたしを抱き返し、泣きながら何度もわたしに、ありがとうと言った。

 久美に自分の上着を着せてやったあと、わたしは夕日の名残なごりの西空を眺めた。
「きれいだねぇ。わたし、こんなにきれいな夕焼け見たの、初めてじゃないかな」
 夕日は沈んでしまったけれど、茜色に染まった空が薄闇の中に浮かび上がっている。その様が本当にきれいだった。
「ほれは、春花の心がほんだけきれいいうことや」
 久美が微笑みながら言った。わたしもにっこり笑うと、久美に言った。
「と言うことは、久美の心もそれだけきれいってことだよね?」
「なんで?」
「だって、わたしたちの心はつながってるからさ。わたしと久美はね、元々一つだったのが、二つに分かれて生まれたんだよ」
「ほうなん? そがぁなこと考えもせんかったけんど、なんで春花はそげに思うん?」
「いろいろあったんだ。ほんと、いろいろね」
 わたしは家で死にそうになってからの、様々なことを思い出していた。風船たちや体のわたし・・・、そして光の存在……。
「ほれは、学校に出て来んようになってからのこと?」
「そうだよ。自分でも信じられないようなことをね、いっぱい経験させてもらったの。それでわかったことが、わたしたちは元々は光の存在だったってことと、わたしも久美も風船たちの神さまだってことなんだ」
「光の存在? 風船たちの神さま? 何ほれ?」
「詳しいことは、またあとで話すけどさ、わたしが久美がここにいるのがわかったのも、風船たちや光の存在が助けてくれたからなんだよ」
 久美は頭に手を当て、うーんとうめいた。
「もうさっぱりわからん。よ説明聞きたいけんど、話すとなごなるんじゃろ?」
「そうだね。だから、お楽しみはあとに取っといて」
「しゃあないな。ほんでも、今春花が言うてくれたことは、うちには何よりや」
 久美は笑顔を見せたあと、しんみりと言った。
「たぶん、わかっとると思うけんど……、うちな、ここで死のて思とったんよ。夕日が沈んだら、死んでおばあちゃんとこへ行くつもりやった……」
 わたしが黙っていると、久美は夕焼け空を見つめながら話を続けた。
「ここは四国しこくの最西端やけん、夕日に一番近いとこなんよ。うちにとって、夕日はおばあちゃんじゃった。ほじゃけん、おばあちゃん追っかけるつもりでここまで来たんよ」
「そうだったの」
「うちな、自分は疫病神やて思いよったんよ。ほれに二枚舌の偽善者や。そげな自分が嫌やったけんど、春花とおばあちゃんがおったけん、これまで生きて来られたんよ。ほやけど、おばあちゃんが死んで、春花までもが死んだら生きてられんけん……」
 少しの沈黙を挟んで、わたしは尋ねた。
「二枚舌って、お父さんのこと?」
「こっちで、うちのお母ちゃんから話聞いたん?」
 わたしがうなずくと、久美はため息をつき、ごめんな――と言った。
「うち、お父ちゃんがおらんことで嫌な目にうて来たけん、お父ちゃんのこと聞かれたら適当なこという癖がついてしもとるんよ。春花はうちのこと親友じゃて言うてくれよったのに、ついうそ言うてしもて……。ほんでも、ほれは春花を信じとらんことになるけん、うち、ほんまのことを言おうて思たんやけんど、言いそびれてしもて……」
 そんなこと――とわたしは言った。
「言いたくないことは言わないでいいんだよ。親友だからって、何でもかんでもしゃべる必要はないから」
「うち、黙っとるんやのうて、嘘ついてしもた」
「無理に喋ろうとするから、違うことを言っちゃったんでしょ? そんなこと、わたしなんかいくらでもあるから」
「ほやけど……」
「ほんとじゃないことを言ったとしても、相手をおとしめるつもりで言ったわけじゃないんだから、それは二枚舌とは言わないんだよ」
「ほうなん?」
「それにさ、わたしだって真弓まゆみたちの機嫌取るために嘘をついてたの。真弓たちからすれば、わたしこそが二枚舌だったわけ」
「真弓って?」
「わたしがいない間に、うちのクラスと三組の間で騒動があったんでしょ? そのときに久美がかばってくれた子よ」
 あぁ――と久美はうなずいた。
「あの子かいな。春花、あの子らがうちのこと馬鹿にするけん、うちから気ぃらそ思て嘘ついたんじゃろ? 高橋たかはしさんから聞いたで」
「それだけじゃないよ。わたし、適当な人間だったから、他にもいろいろあったの」
「うち、春花が学校出て来んなって、そのあとえらい肺炎になったけん、うちのせいでそがぁなったて思いよった」
「わたしが部屋に籠もっちゃって久美とも会わなかったから、久美を誤解させちゃったんだね。親友なのにごめんね」
 久美は首を横に振ると、ほれはええんよと言った。
「うちも引き籠もりやったけん、春花の気持ちはわかるよ」
「久美もいろいろつらいことばっかりだったもんね」
 久美は小さくうなずくと、夕焼けを眺めながら言った。
「うち、お父ちゃんが死んで、お母ちゃんのおなかにおった子も流れてしもた。ほれからおじいちゃんが死んで、おばあちゃんまでが死んでしもた。ほやけん、うちは疫病神やて思いよった」
「それ、伯母さんに言われたんでしょ? あんな人、相手にすることないよ」
「ほんでもな、うちが好きになった人が次々死んでいったんは事実やけん」
「だから、わたしも死ぬって思ったの?」
 うなずく久美にわたしは笑顔で、でも生きてるよ――と言った。
「久美のお母さんだって生きてるじゃない。久美、お母さんのこと、好きじゃないの?」
「大好きや」
「でしょ? だったら、久美が好きになった人が死ぬってことにはならないよね?」
 ほんでも――と久美は下を向いた。
「お父ちゃんが死んだんはうちのせいや。お母ちゃんのお腹におった子が流れてしもたんも、うちのせいや。うちが沖に流されたりせんかったら、お父ちゃんが死ぬことなかったんよ。お父ちゃんが生きとったら、お母ちゃんのお腹の子も、おじいちゃんも死ぬことなかったし、おばあちゃんかて死なんかったじゃろ」
「気持ちはわかるけど、おじいちゃんやおばあちゃんのことまで、自分のせいだっていうのは考え過ぎだよ。それにお父さんのことだって事故なのよ。だから、そのことで自分を責めるのはやめないとね。そうじゃなきゃ、お父さん、悲しむよ」
 ほやかて――と言いながら久美は涙をこぼした。
「お父ちゃん、うちを助けよとして沈んだんで……。沈みながらな……、まだうちのこと……助けよとしよったんよ」
 絞り出したような声で喋ったあと、久美は声を出して泣いた。わたしは久美を抱いて慰めながら、それでも元気を出すようにとうながした。
「逆の立場で考えてごらん。久美がお父さんを助けようとして死んでね、生き残ったお父さんがずっと悲しんで自分を責め続けるの。久美はそんなお父さんに何て言うの?」
 まだ泣き続ける久美に、わたしはもう一度同じことを尋ねた。久美は鼻をすすりながら小さな声で言った。
「お父ちゃんが悪いんやないけん……、自分を責めたらいけんて言う」
「でしょ? 久美のお父さんもそう思ってるよ。お母さんのお腹にいた子だってね、久美が泣いたら悲しむよ。それに、きっと久美に会いたかっただろうから、絶対もう一度別な形で生まれて来て、久美の前に現れるから」
 久美は涙でれた顔を上げた。
「ほんまに?」
「わたしたち、生まれる前から存在してるんだから、死んだあとも消えるわけじゃないんだよ。そうやって何度も生き死にを繰り返して、いろんなことを学ぶの。お父さんたちだって何かを学んでるし、久美や久美のお母さんだって学んでるの。話を聞かせてもらったわたしもね」
 わたしから離れた久美は手で涙を拭きながら、だんだんなと言った。
「やっぱし春花はすごいわ。うち、春花と知り合えてほんまによかった」
「それはわたしも同じ。久美と知り合えてほんとによかったと思ってる。でもね、わたしたち、こうやって出会うことを約束して、それぞれの家に生まれたんだよ」
「ほうなん?」
「言ったでしょ? わたしたちは元々一つだったんだって」
 またそこかと、久美は苦笑した。
「その話、早よ聞かせて欲しいで。ほんでも、うち、春花が言うとることわかるようなぃする」
「ほんと?」
「さっきも言うたようにな、うちはここで死ぬつもりやった。うちのせいで春花を死なせてしもたて思いよったけん、夕日を見終わったら、死んでおばあちゃんとこへ行こて考えよったんよ。。言うたら、そこは春花がおる所でもあるんやけんど。ほしたらな――」
 もう夕日が沈むというときになって、何故か急に胸の中に春花を感じたと、久美は興奮気味に言った。
「ほんまに突然や。春花が胸ん中に飛び込んで来たみたいで、うちの心の中から、自分は二枚舌じゃいう気持ちと、疫病神じゃていう気持ちを取っ払ってくれたんよ」
「どうやって?」
「どうやってかはわからん。ほんでも春花が出て来たら、疫病神いう気持ちも二枚舌じゃいう気持ちも、すっと消えてしもたんよ。春花にほんまのこと言えんかったんは悪かったて思とるし、お父ちゃんらが死んで悲しいのはおんなしやけんど、自分を二枚舌とか疫病神て思う気持ちはのうなってしもたんよ」
 わたしは久美の話に興奮した。あの死人しびとの女やカラス天狗てんぐとの戦いを、久美は感じてくれていたのだ。
「ほんでもな、偽善者いう気持ちぎりは残っとった。春花はこれもけよとしてくれよったみたいなけんど、うちがほれに抵抗しよったんよ」
「どうして抵抗したの?」
「ほやかて、春花にうちが偽善者じゃていうんは知られとなかったけん」
 わたしは久美に自分を偽善者だと思う理由を聞いた。すると、久美は天女が語ったのと同じ話をした。
「今はこがぁして話せるようになったけんど、ほんときは絶対春花に知られとなかったんよ。知られたらおしまいやし、知られるやったら死んだ方がええて思いよった。ほしたら心ん中の春花がな、うちの心を抱くみたいに包んでくれたんよ。うち、もう泣きそうになったけんど、偽善者いうんを知られまいと悪あがきしたんよ」
 その悪あがきというのは崖から飛び降りることだったと聞かされ、わたしは今更ながら冷や汗を感じた。あのときはほんとに危機一髪だったようだ。
「もうほとんど発作的いうか衝動的やった。ほんときはちょうど夕日が沈んだとこで、おばあちゃんとこ行くいうときでもあったけん、うちは柵にぇかけたんよ。ほれで、そこを乗り越えよとしたんやけんど、ほんときよ。ほんときにな、聞こえたんよ」
「何が? 何が聞こえたの?」
 どきどきしているわたしに久美は言った。
「おばあちゃんのあの言葉や。あの言葉がな、うちの頭ん中ではっきり聞こえたんよ」
「夕日見てきれいじゃて思うんはな、あんたの心がきれいなけんよ――ていう、あの言葉?」
「ほうよほうよ。ただな、ほれを喋っとったんは、おばあちゃんやなかった」
「違うの?」
 久美はわたしをじっと見つめて言った。
「春花や。春花がな、おばあちゃんのあの言葉を言うてくれたんよ。あのときの声、今でもはっきり覚えとる。柵にぇかけて夕焼け空見たときにな、春花があの言葉を言うてくれたんよ。ほしたら、夕焼け空がおばあちゃんみたいに思えてな。胸ん中があったこなって、久美、がんばるんやで――ておばあちゃんが言うてくれとるようなぃがしたんよ」
 あのときの正気を取り戻した久美の笑顔を、わたしは思い出していた。新たな感動がわたしの目を濡らした。久美も笑っているけど涙ぐんでいる。
「うちな、春花が描いてくれた、懐に ふところ 入れとったんよ」
「あの絵を持っててくれたの?」
 うんと久美はうなずき、その絵をわたしに見せてくれた。もう暗くてよくわからないけど、じっと目を凝らすと、確かにわたしが描いた絵だった。
「そのぇ見たらな、これがほんまの久美なんやで――て春花に言われとるみたいじゃった。ぃついたら、自分は偽善者じゃいう気持ちはのうなっとって、心ん中は春花でいっぱいになっとった。春花はほんまのうちを知りながら、うちを優しく抱き続けてくれとった。今の春花みたいに、ずっとうちのそばにおってくれたんよ」
 久美は感激しながらも、春花がこんな形で現れたのは、きっと春花が死んだに違いないと思ったそうだ。死んで魂になった春花が、自分を助けに来てくれたのだと思い、日が沈んだあとも、ずっと春花を想って泣いていたのだと言う。
「ほしたら、また春花の声がするやんか。初めは頭の中で聞こえとるんかて思たけんど、今度はちゃんと耳で聞こえとった。春花が泣きながらうちを呼ぶ声が近づいて来るけん、うち、春花の幽霊かて思たんよ。ほしたら、ほんまもんの春花やった。死んだて思いよった春花が、うちの居場所も知らんはずの春花が、うちを探してこがぁなとこまで……」
 久美は顔を崩して唇を震わせた。わたしも久美と再会できたときの感動が蘇っ よみがえ ている。
「わたしもね……、わたしも夕日が沈んじゃったから……、久美はもう死んだんじゃないかって……、だからね……久美の声を聞いたとき……、うれしくてうれしくて……」
 わたしたちは手を取り合うと、もう一度抱き合って泣いた。

「春花ぁ! おーい、どこにいるんだ?」
 兄貴の声がした。それでわたしは兄貴と中村さんを駐車場に残して来たことを思い出した。
 振り返ると、辺りをすっかり包み込んだ薄闇の中に、懐中電灯らしき明かりが見えていた。兄貴の声はそちらから聞こえて来る。
「お兄ちゃん、ここだよ、ここ!」
 向こうから見えるかどうかわからないけど、わたしは大きく手を振りながら、明かりに向かって叫んだ。すると、明かりの方からまた兄貴の声がした。
「春花、そこか! 友だちはどうした? 見つかったのか?」
「うん。見つけたよ。もう大丈夫だから!」
「そうか! よかったな!」
「ありがとう、お兄ちゃん。中村さんもそこにいるの?」
「わしもおるぜ。友だち見つかってよかったな!」
「ありがとうございます! 中村さんのお陰です!」
 叫んだあと、わたしは久美に東京から兄貴と二人で来たことと、伊予灘いよなだ郵便局の中村さんが仕事も放って、わたしたちをここまで軽トラックで運んでくれたことを話した。そして、その軽トラックが警察に追いかけられて、そこの駐車場で兄貴たちが捕まったことを話しているところに、兄貴たちがやって来た。
 来たのは兄貴と中村さんだけではなく、警官たちも一緒だった。懐中電灯を持っていたのは警官たちだ。
 思いもしない者たちがぞろぞろ現れたことで、久美は緊張しているようだ。
 警官たちはわたしと久美を見ると、どちらが妹さんですか?――と兄貴に尋ねた。
 こっちですと兄貴がわたしを指差すと、男性警官がわたしに、あなたが白鳥しらとり春花さんですかと言った。
 わたしが返事をすると、その警官は久美に顔を向け、それではあなたが兵頭久 ひょうどう 美さん?――と尋ねた。
 はいと久美が答えると、男性警官はここにいる理由を久美に聞いた。でも、久美が返答に困った様子を見せると、女性警官が答えにくければ言わなくても構わないと言った。
 すると久美は、ここへは死のうと思って来ましたと答えた。その言い方はきっぱりとしたもので、わたしには久美が胸を張っているみたいに聞こえた。
 それでも女性警官は、答えにくいことを答えてくれてありがとうと、久美をねぎらい、今度はわたしに質問をした。
「あなたは久美さんがここで死のうとしてるって、どうしてわかったの?」
「それは――」
 わたしは久美を見てから、自分と久美は心がつながっているからですと答えた。
 思ったとおり、警官たちは当惑したように互いを見た。だけど、わかってもらえようともらえまいと、それが事実なのだから仕方がない。わたしと久美も顔を見交わし、くすっと笑い合った。
 気を取り直した様子の男性警官は、わたしたちに言った。
「およその経緯は、こちらのお二人から聞かせてもらいましたけんど、久美さんのご家族から捜索願いも出とりますので、お二人には署へご同行願いまして、そちらで改めてお話を伺わせてもろてもかまんですか?」
 久美が小さな声ではいと答えると、警察官はわたしを見た。どきっとしたわたしは、ちらりと兄貴や中村さんを見てから言った。
「あの、わたしたちは逮捕されるんでしょうか?」
「逮捕? いやいや、逮捕はしません。あなたはお友だちを助けんさったぎりですけん。感謝状は出ると思いますけんど、逮捕状は出んでしょう」
 よかったぁとわたしは思わず声を漏らしてから、同行することに同意した。すると、ほんでも――と男性警官は言い足した。
「中村さんについては、切符を切らせていただきます」
「切符?」
「二人乗りの軽トラックに三人乗って運転しましたけんね。事情はどうあれ、道路交通法違反ということで対応させてもらいます」
「え? だって中村さんは――」
「ええんやて。わしはねえやんらの力になれたけん、他のことはどがぁでもええんよ」
 中村さんはわたしに微笑みかけて言った。
「だけど……」
「別に犯罪で逮捕されるわけやないけん。ほれより、ねえやんの友だちが無事じゃったことが何よりよ。わしにとっては、ほれこそが誇りぜ」
 わたしは胸がいっぱいになり、中村さんに抱きついた。中村さんはおたおたしながらわたしを抱き返し、病み上がりやのにがんばったな――と言ってくれた。
「あの――」
 久美が中村さんに声をかけた。顔を向けた中村さんに久美は言った。
「見ず知らずのうちのために、こがぁなご迷惑をおかけしてしまいました。ほんまに、ほんまに申し訳ありませんでした。ほれと、ほんまにありがとうございました」
 久美は深々と頭を下げた。中村さんは兄貴を見てにんまり笑うと、まっことええ役柄ぜ――とうれしそうに言った。
 兄貴が中村さんに尊敬の眼差しを向けていると、久美は兄貴にも頭を下げた。
「お兄さんにも、うちのためにこがぁなことをしていただき、ほんまにありがとうございました」
 わたしは中村さんから離れると、今度は兄貴に抱きついて、ありがとうと言った。
 兄貴はにんまりしながら中村さんを見て、ほんとにいい役柄ですねと言った。ほうじゃろうと中村さんが返すと、病みつきになりそうですと兄貴は笑った。
「ほれじゃあ、中村さんらにもご同行願ってかまんですか?」
 男性警官の言葉に中村さんはもちろんと答えた。ほんなら――と警官は、久美とわたしはミニパトカーに乗って、兄貴は中村さんの軽トラックに乗せてもらうようにと言った。

 駐車場まで移動すると、中村さんは家に電話をさせて欲しいと警官たちに言った。どうぞどうぞと言われた中村さんは、ポケットからスマホを取り出して家に電話をかけた。
 出て来たのは奥さんみたいだけど、仕事を抜け出したことがバレたのだろうか、中村さんはかなりしかられたみたいだ。スマホを耳に当てたまま何度も深く頭を下げている。
 それでも中村さんは自分が何をしていたのかの言い訳はしないまま、この埋め合わせは必ずするからと謝り続けていた。埋め合わせということは、奥さんと何かの約束があったのだろうか。だとしたら、二人には申し訳ないことをしてしまった。
「大丈夫ですか?」
 電話を終えた中村さんに、男性警官が心配そうにたずねた。中村さんは照れ笑いをしながら、実は今日は女房の誕生日だったと言った。
 ほれは大事おおごとじゃと女性警官が言った。何、ええんよ――と中村さんは言ったけど、警官たちは中村さんに同情していた。
あねさん女房で、いっつもかっつも世話になりっ放しやけんな。今日ぐらいはて思いよったんやが」
「ほんでも、あなたが何をやんなはったんかを説明したら、きっと奥さんもわかってくんなはらい」
「ほやけど、切符切られたことは黙っとりんさいや。また叱られるけん」
 本当に警察に捕まったのだろうかと思うほど、警官たちは中村さんに親身だった。何だかすごくいい感じで、中村さんに迷惑をかけてしまったことを忘れそうだ。だけど、絶対忘れるわけにはいかない。だって、奥さんの誕生祝いを犠牲にしてまで、中村さんはわたしたちのために動いてくれたんだもの。
 わたしと久美は何度も頭を下げて中村さんにおびした。
 すみませんでしたと兄貴も中村さんに謝ったけど、兄貴は中村さんの姿勢に大いに感激したらしい。オレは中村さんみたいな男になる!――なんて言って中村さんを喜ばせた。でも警官たちからは、交通ルールは守ってよとくぎを刺されていた。
 西の空は夕日の名残の明かりもほとんどなくなり、辺りはすっかり闇に包まれていた。だけど、わたしたちの心は明るかった。
 兄貴が大声で中村さんと喋りながら、軽トラックに乗り込んだ。その様子を見ると、すべてがうまく行ったんだと、改めて思えて来る。
 わたしは久美の手を握ると微笑み合った。
 よかった。今の気持ちは、ただそれだけだ。