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雨に濡れた涙

「あのさぁ、春花はるか、最近あたしたちと付き合い悪いんじゃない?」
 一時限目の授業が終わると、百合子ゆりこがそばへ来て唐突とうとつに言った。
 わたしはどきりとした。真弓まゆみや百合子と遊ぶ時間が減ったのは事実だ。だから、いつそのことを言われるかと、ずっと冷や冷やしていた。その心配がついに現実になったらしい。驚いた心臓が胸の中で慌てふためいている。
「付き合いが悪いって、どういうこと?」
 わたしがとぼけると、百合子は面倒臭そうにため息をついて、わかってるくせに――と言った。
 いつの間にか真弓も百合子の隣に来ていて、うそつきは泥棒の始まりだと言った。
 実は先週、真弓たちから久しぶりに、今度の日曜日にわたしの家に遊びに来たいと言われた。その日曜日というのは昨日のことだ。
 もちろん二人の目的は兄貴に会うことだ。だから、わたしは兄貴の都合が悪いと言って断った。
 だったら真弓の家で遊ぼうと誘われたけど、これも用事があると言って行かなかった。久美くみ早苗さなえと映画に行く約束をしていたからだ。
 付き合いが悪くなったのは本当だけど、嘘をついたわけじゃない。かちんと来たわたしは、真弓に言い返した。
「嘘って何よ? 昨日、兄貴が部活で忙しかったのも、用事があったのも全部本当だよ」
「そのことは、いいの」
 真弓が言うと咄嗟とっさに百合子が、よくないでしょ?――と真弓を見た。
 だけど真弓は、そのことはあとにしようと言って取り合わなかった。それで百合子は渋々口をつぐんだ。
 百合子が言った話じゃなくて、別のことでわたしが嘘をついたと、真弓は言いたいみたいだ。それが何のことなのか、わたしには皆目かいもく見当がつかなかった。
 だけど、何だか嫌な予感がする。胸の中で心臓が、やばいよ、やばいよ――としきりに訴えている。
 真弓はわたしに顔を戻して言った。
「あんたさ、あたしたちをお兄さんの誕生日に呼んでくれるって言ったよね?」
 その話かと、わたしはうろたえた。そのことはすっかり忘れていたし、あれは口から出任せに言ったことだ。でも、それは昨日ではなかったはずだ。
「ああ、そのことだったら大丈夫。ちゃんと兄貴には言ってあるから」
 真弓の顔色をうかがいながら、少しだけ笑顔を見せて、わたしはごまかそうとした。すると真弓は、嘘つき!――と言って、わたしをにらみつけた。
「あんた、ほんとに大嘘つきね」
 真弓と言いたいことが違っていたはずなのに、百合子も真弓に口をそろえて言った。
 二人してここまで怒っているということは、二人を兄貴の誕生日に呼ぶということが、嘘だったとばれたに違いない。だけど、何で嘘がばれたのだろう? 確かめたいけど、それは嘘を認めることになる。しらを切っている今、それは墓穴ぼけつを掘ることになってしまう。
「あんた、お兄さんの誕生日、いつって言った?」
 真弓が追い立てるように言った。でも、あれは適当にしゃべったことだったから、いつだったかが思い出せない。確か、年末辺りだったような気がするけど。
「わかんないの? 自分のお兄さんの誕生日でしょ?」
「兄妹だって誕生日を忘れることってあるでしょ? 兄貴なんか、わたしの誕生日を覚えてくれてたことなんか、一度もないんだから」
 精一杯言い返しながら、いつと言ったか必死に思い出そうとした。だけど、全然思い出せない。どうしよう?
「ねぇ、いつよ?」
 わたしは真弓たちの表情を読みながら言った。
「十二月……」
「何日?」
「二十日」
 真弓の顔が鬼みたいな形相になった。両手の拳が小刻みに震えている。
「こないだよこしたクッキーだって、お兄さんが焼いたんじゃないんでしょ?」
 わたしは絶句した。
 先日真弓たちにあげたクッキーは、実は兄貴じゃなく、わたしが焼いた物だった。
 兄貴と一緒に焼いたんだけど、真弓たちにはちゃんと兄貴のクッキーをあげるつもりだった。
 なのに、前に真弓たちに喋った嘘のとおり、兄貴はわたしにくれるはずのクッキーまで学校へ持って行ってしまったのだ。それで仕方なく、真弓たちには自分のクッキーをあげただんだけど、これは別に二人をだますつもりでやったことではない。
 それでも、兄貴が焼いたクッキーだと言って渡した以上、わたしは嘘をついたことになるし、そのことは自分でもわかっていた。
 それにしても、そのことを真弓たちはどこで知ったのだろう? どこかで兄貴に会う機会があったのだろうか? きっと、そうだ。兄貴が余計なことを喋ったに違いない。
 観念したわたしは弁解しようとしたけど、口が動くばかりで言葉が出なかった。
 絶交よ――真弓はわたしを見下ろしながら、冷たい口調で宣言した。
「今日限り、あんたとは絶交よ。これからは友だちでも何でもないから忘れないでね」
 真弓は返事を待たずに、くるりと背を向けて自分の席へ戻って行った。百合子は真弓の背中とわたしを見比べると、あたしも絶交だからね――と言って真弓のあとを追った。
 一人残されたわたしを、クラスメイトたちが黙って見つめている。
 隣の席にいた宮中みやなか満里奈まりなが、心配そうにわたしを見ていたけどそれだけだ。何があったのかと尋ねてくれる者は一人もいない。聞かれたところで、嘘をついたのは事実だから言い訳のしようもない。それでも周囲の沈黙は、責められているようでつらかった。わたしはその雰囲気に耐えきれずに教室を飛び出した。
 足はトイレに向かっていた。一人きりになりたくて、トイレの個室に入ろうと思っていた。だけど、トイレには他の生徒たちがたくさんいたので、わたしは向きを変え、階段を駆け上った。屋上へ行くつもりだった。
 息が切れるほどの勢いで階段を駆け上り、屋上の扉の前に着いた。だけど、今度はしっかり鍵がかけられていて、扉を開くことはできなかった。何度も扉のノブをガチャガチャしたあと、わたしはその場にうずくまった。
 久実や早苗と親しくなれたことで、わたしは有頂天に うちょうてん なっていた。それで真弓たちとの距離が遠くなってもかまわないと思っていたし、むしろ、そうなることを願っていた。だけど、こういう形で自分の願いがかなうことになるとは思ってもみなかった。
 涙がぼろぼろこぼれて床をらした。
 早苗のおばあちゃんの言ったとおりになってしまった。真弓たちだけでなく、クラス全員がわたしのことを、大嘘つきの信用ならないやつだって思ったに違いない。きっと、早苗だってそう思っている。あの谷山たにやまだって……。
 誰かに話を聞いて欲しい気持ちはあった。だけど今更何を話したところで、それさえも嘘だと思われるだろう。どうすればいいのかわからず、わたしは泣き続けた。

 休憩時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。教室へは戻りたくなかったけど、戻らないわけにはいかない。
 重い身体を引きずるように、わたしはゆっくり階段を下りて行った。どの学年も生徒たちは教室へ戻り、どこの階の廊下もひっそりしている。
 一階まで下りたわたしは、教室の後ろの戸をそっと開けて中に入った。みんなはすでに席に着き、先生が教壇に立っている。
白鳥しらとり、遅いぞ!」
 先生に注意されたわたしは返事も挨拶もせずに、うなだれたまま自分の席に戻った。
 周囲からの視線を感じる。男子も女子も、みんながわたしのことを見ている。
 わたしは誰とも目を合わせないようにして、自分の机の上に意識を集中しようとした。すると、机の上に置かれた紙が目に入った。
『うそつき! 死ね!』
 真弓か百合子が書いたのだろう。わたしはすぐに紙をぐしゃぐしゃにすると、二人の方を見た。二人とも、じっとわたしのことをにらんでいる。
 わたしは真弓たちをにらみ返してやった。でもそのとき、こっちを向いた谷山と目が合った。わたしは慌てて目をらすと下を向いた。谷山にだけは、今の惨めな姿を見られたくなかった。
 谷山はわたしのことを、大嘘つきだと思っただろうか?
 谷山は誰にでも優しい。その谷山にさえ嫌な目で見られるようになったら、わたしはもうここにはいられない。
 この日、わたしは針のむしろに座らされているみたいだった。誰も声をかけてくれず、話しかけることもできず、この苦痛にひたすらじっと耐えるしかなかった。
 休憩時間には机に突っ伏して何も見ない、何も聞かないようにしていた。だけど、どうしても周りの音や声は聞こえてしまう。
 真弓たちがわたしの様子を眺めながら、他の誰かにわたしの悪口を言っている。それに反応して驚く声や笑う声が聞こえると、わたしは両耳を手でふさいだ。
 早苗だけでも味方になってくれたらと、ちょっとだけ期待はあった。だけどこの状況では、気の弱い早苗がそばへ来られるわけがない。
 久実だって廊下からわたしの様子を見たかもしれないけど、違うクラスの部屋に勝手に入っては来られない。

 四時限目の授業が終わり、昼休みの時間になった。わたしはお弁当とお茶を抱えると、黙って教室を出ようとした。
「勝手に外で食べるやつがいる!」
 真弓の声がした。わたしは無視して廊下に出た。
 ちらりと早苗の方を見たけど、前の方に座っている早苗は、わたしに気がつかないのか、机の上に弁当を広げているところだ。
 そっと隣の教室をのぞいてみると、久実がいた。だけど、久実は独りぼっちじゃなかった。他の女子生徒たちと机を並べ、一緒に弁当を食べようとしていた。
 どうやら相手はみんな同じテニス部員らしい。部活動を通して仲がよくなったに違いない。だけど、わたしはそんな話は聞いていなかった。
「何よ、わたしと同じ美術部がよかったって言ってたくせに!」
 わたしは久実をにらんだけど、久実はこちらに気がつかない。まさかこの時間に、わたしが廊下にいるとは思ってもいないのだろう。だけど、気持ちがつながっているのなら、気づいてくれてもよさそうなものだ。
 わたしはしばらく待っていたけど、久実が仲間たちと笑う姿を見ると、その場を離れて校舎の外へ出た。
 誰にも見られない所を探すうちに、わたしは校舎の端にある体育道具の倉庫へ来た。すぐ横には、大きなイチョウの木があって感じがいい。
 わたしはイチョウの木の根元に腰を下ろすと、何でこんなことになったのだろうと考えた。
 わたしはつまらない人間だ。だから真弓たちと一緒にいることで、自分だって特別なんだってところを、みんなに見せようとした。
 実際、早苗がわたしに一目置いてくれたのだって、真弓たちと付き合っていたからだ。
 家に遊びに来た真弓たちを母に紹介したときも、わたしは鼻が高かった。自分がどれだけ学校で認められているかを、母にアピールできたからだ。
 でも真弓たちが関心を持っていたのは、わたしじゃなく兄貴だった。わたしはただの兄貴へのパイプ役に過ぎない。それがわかっているから、わたしの方も真弓や百合子を、本当の友だちだなんて思ったことがない。本当の友だちにしてもらえるとも考えていなかった。
 真弓たちと友だちのふりをして周囲を騙しながら、自分が魅力のない人間だということを、わたしは自分の目からも隠そうとしていた。だけど、全部嘘だとみんなに知れてしまい、自分自身にも現実を突きつけることになった。
 結局、わたしは惨めなピエロだった。

 昼食が終わったようで、校舎の中が騒がしくなった。外に出て来た者もいて、わたしはお弁当を開かないまま立ち上がった。もう食べる場所はないし、何かを食べたい気分でもない。行く所がないわたしは、とぼとぼと教室へ向かった。
 大勢の男子生徒たちが騒いでいる玄関に入り、教室がある廊下へ行くと、二組の前に谷山がいるのが見えた。
 どきっとして、わたしは近くの階段の陰に隠れた。そこからそっと顔を出してのぞいてみると、谷山は二組の誰かを呼び出してもらっているようだった。
 わたしは谷山と顔を合わせたくなかった。谷山があそこに立っている限り、わたしは教室へ入れない。困ったなと思いつつ、無理に教室に戻る理由もないから、わたしはその場で谷山の様子を見続けた。
 上から下りて来た上級生二人が、妙な顔でわたしを見ながら職員室の方へ行った。ちょっとだけ上級生を見送ったあと、谷山に目を戻したわたしは驚いた。
 谷山が呼んだのは久実だった。谷山は右手で頭の後ろをきながら、照れ臭そうに何かを言った。久実も恥ずかしそうに下を向いている。
 ヒューヒューと二人をはやし立てる声が、教室や廊下から聞こえた。困惑した谷山は、久実の手を引いてこちらへやって来た。
 わたしは慌てて階段を上がり、踊り場の陰から谷山たちが来ないか確かめた。
 しばらくすると谷山と久実の姿が見えた。いつでも上に逃げられるようにしながら見ていると、二人は階段を通り過ぎて玄関の方へ行った。後ろから冷やかしの男子たちがついて行く。
 付いて来るな!――と言う谷山の怒ったような声が聞こえ、他の生徒たちは階段近くから動かなくなった。
 わたしの心臓は破れそうなぐらいドキドキしている。頭は何も考えられない。真弓や百合子を怒らせたことや、教室で恥をかかされたことなど全部どうでもいいように思えた。わたしは大声で叫びたかった。ただ、叫びたかった。
 冷やかしの者たちがいなくなるのを見計らい、わたしはそっと教室に戻った。みんながわたしに目を向けたと思うけど、わたしの頭にあるのは、谷山と久実のことだけだった。
 泣きそうになるのをこらえながら、席に戻ったわたしは帰り支度をした。
「もしかして、家に帰るの?」
 隣から満里奈が声をかけて来た。満里奈とは小学校から一緒の仲だ。でも真弓たちと付き合い出してから、昔ほどは喋らなくなった。
 だけど、満里奈は心配してくれているようだ。つい甘えたくなったけど、今更だった。
 帰る――と一言だけ返して顔を上げると、真弓と百合子がわたしをにらんでいた。わたしは二人には構わず黙って廊下に出た。
「白鳥さん、待って!」
 早苗が後ろからわたしを呼び止めた。振り返ると、話があるのと早苗は言った。
「わたしに近づいたら、サッチーまでひどい目に遭わされるよ」
 味方になれない早苗に皮肉を言ったわけじゃない。その逆だ。
 わたしは早苗が心配だった。早苗までが巻き添えで嫌な思いをすることになれば、申し訳ないでは済まされない。
 だけど早苗は思い詰めたような顔で、わたしから離れなかった。
 わたしは周囲を見回し、玄関ホールの隅っこへ早苗をいざなった。早苗はおびえたような様子で、わたしに謝らないといけないことがあると言った。
「わたしに謝る? 何のこと?」
 説明を求めながら、わたしは身体がゾクリとした。それは何かとても悪いことで、今回のことと関係があると、わたしの直感が告げていた。
「わたしね、今日は日直当番だったから、先に学校へ来たでしょ? それで、あとから来た山上さんと本田さんがね、わたしの所へ来て、昨日のことを聞いて来たの」
 今日はわたしは久実と二人だけで登校した。わたしたちがいつものようにゆっくり登校している間に、早苗は真弓たちから話しかけられたということらしい。
「あの人たちも、昨日、商店街へ遊びに出てたらしくて、そこでわたしたちのことを見かけたって言うの。それで何をしてたのかって聞かれたから、わたし、いろいろ喋ったの」
 それで百合子が付き合いが悪いと文句を言ったのかと、わたしは納得した。百合子は早苗と久美がわたしを奪ったと受け止めたのかもしれない。
「何かひどいことを、二人から言われたりされたりしなかった?」
 早苗は首を横に振った。でも、早苗は今にも泣きそうだった。
「本当のことを言って。あの人たちに何か言われたんでしょ?」
 早苗は下を向いたまま黙っている。返事をうながすと、早苗は顔を上げずに言った。
「白鳥さんは大嘘つきだから、付き合うのはやめた方がいいって。あんたも今に騙されるよって言われた……」
 ほら、やっぱり――とわたしは思った。
「それで、何て答えたの?」
「そんなことないって言った」
「あの二人は、何て言ったの?」
「勝手にすればいいって笑ってた」
 近くでは他の生徒たちの声が飛び交っている。だけどわたしと早苗の間には、息苦しい沈黙が漂っていた。
 それにしても、早苗が謝らねばならないというのは何だろう。昨日のことを二人に喋ったことだろうか? それとも、早苗もわたしのことが信じられなくなったのだろうか?
 わたしは早苗の手を取ると、自分の気持ちを伝えた。
「信じてもらえるかどうかわかんないけどね。わたし、サッチーと仲よしになれてうれしかったし楽しかったよ」
 早苗は下を向いたまま泣きそうな声で言った。
「わたしも楽しかった……」
「サッチーが漫画家になれると思うって言ったのも嘘じゃないよ。本当のことだから」
「嘘だなんて思ってない……」
 早苗の目から涙がぽろぽろこぼれた。
「わたし、白鳥さんが嘘つきだなんて思ってない。でも、白鳥さんがあの人たちに悪く言われたのはね、わたしのせいなの」
「どういうこと?」
 尋ねながら、わたしはまさかと思った。早苗はうなだれながら、あのね――と言った。
「わたしね、嘘つけないから、聞かれたことをいろいろ喋ったの」
「映画とかカフェに行った話じゃなくて?」
「それもだけど、三人で喋った話もあの二人に話したの」
 昨日は三人でカフェに行き、一つのパフェを分け合いながらお喋りを楽しんだ。
 そのときに真弓たちにあげたクッキーが話題になり、わたしは兄貴のクッキーが手に入らなかったから、仕方なく自分のクッキーを渡したと説明した。
 その苦労話を早苗は久美と一緒に笑っていたけど、まさか、その早苗から真弓たちに話が伝わるとは思わなかった。
 あのときには、八月の兄貴の誕生日に買ったケーキの箱を、わたしが誤って落としてしまい、中のケーキがグチャグチャになってしまった話もした。これも大笑いだったけど、この話も早苗はあの二人に喋ったということらしい。
 わたしは言葉が出なかった。ここだけの話だからと念を押したわけではない。だからと言って、そんな話まで馬鹿正直に真弓たちに喋るだなんて、わたしは早苗が信じられなくなった。
 早苗は泣きながら、ごめんなさいと謝った。だけど、その言葉は遠くで聞こえる知らない人の声みたいだった。わたしの耳も頭も言葉の意味が理解できなかった。
 ただわかったのは、早苗が余計なことを喋ったせいで、真弓たちに嘘がばれてしまい、わたしは学校にいられなくなったということだ。
 不思議に怒りは湧いて来なかった。だって、一度は親友だと信じた相手だから。
 わたしは、いいよ――と言った。それが精一杯で、それ以上は言葉が出ない。無理に喋ろうとすると涙が出そうになる。
 わたしは早苗に背を向けると、下駄箱の方へ向かった。
 後ろで早苗が何度も謝るのが聞こえた。でも聞こえないふりをして靴を履き替え、そのまま外へ出た。さっきは青空が出ていたのに、いつの間にか雲が広がっている。
 ふと横を見ると、さっきまでわたしがいた体育道具の倉庫の横に、谷山と久実が向き合い立っていた。何を喋っているのかはわからない、でも、ふざけた話をしているのではなさそうだ。真面目な顔で話す谷山の言葉に、久実が何度も小さくうなずいている。それから驚いたように首を横に振った久実は、迫る様子の谷山に大きくコクリとうなずいた。
 その雰囲気に、わたしの胸はカーッと熱くなった。早苗に対して抱いた感情は、悲しみだけだった。でも今、わたしの身体を震わせているのは怒りだった。
 そのとき、教室の窓から身を乗り出してこっそり二人の様子を眺めていた、二組の男子生徒たちが冷やかしの声を出した。
 驚いて振り向いた二人と、わたしは目が合った。二人がいる場所は離れていたけれど、その時の二人の表情は何故かよく見えた。二人とも見られてはいけない所を見られたという顔だった。
 わたしは反射的に走り出した。そのまま校門を飛び出すと、家に向かって走り続けた。走っている間は、とにかく逃げることしか頭になかった。だけど、とうとう息が切れ、足が言うことを聞かなくなった。
 走るのをやめると一気に悲しみが込み上げて来た。わたしは肩で息をしながら泣いた。
 初めて本当の友だちができたと思っていた。久実や早苗の力になれたことが、本当にうれしかった。これからずっと三人は親友なのだと信じていた。だけど、馬鹿を見たのはわたし一人。わたしだけが責められて、本当の独りぼっちになってしまった。
 時折車が横を通っても、歩いて来た人が怪訝けげんそうな顔をしても、涙は止まらなかった。
 やがて、ぽつりぽつりと雨が降り出した。
 雨は次第に強くなり、わたしの身体も荷物もぐちょぐちょになった。
 だけど雨はわたしの涙を隠してもくれた。冷たい雨はわたしを打ち続けたけど、雨だけが今のわたしを黙って慰めてくれているようだった。