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枯れ草の原っぱ

 たどり着いたのは、枯れ草だらけの荒れ地だった。空は土のような色をしていて、辺りは薄暗い。枯れ草以外に目につく物はなく、荒涼とした感じが薄ら寒い。
 赤みの残っている風船は、枯れ草に元気を与えていた。でも、そんなことをしたって枯れ草は枯れ草のままだ。
「ここはどんな所なの?」
 敗北感に耐えながら、近くの風船たちに尋ねると、みんなが口々に説明してくれた。
 ――ココデ食ベ物ガ、生マレルノ。
 ――デモ、ズット食べ物、生マレナイノ。
「あなたたちも食べ物が必要なの?」
 ――ウン。
 風船たちは虹の森の実を食べても、完全には赤くならない。それは食べ物が足らないからに違いない。クラゲたちだって、飢えたまま必死にイガグリと戦っている。みんな、本当はぼろぼろなのに世界を守ろうとがんばっている。憎むべきはあの偽の神だ。
 風船やその仲間たちが逆らわないのをいいことに、あんな乱暴で呪わしいことを続けるなんて絶対に許せない。
 疲労は限界に来ていて、起きているのもつらいけど、世界を救わねばならないという気持ちが、わたしを奮い立たせている。
 だけど、あんな怪物とどう戦えばいいのか。戦う以外にあの怪物を止めることができるなら、それが一番いいんだけど、相手のことが何もわからない今、わたしにはいい方法が全然思いつかない。まずは情報を集めなければ。
 わたしは近くの風船に聞いた。
「ねぇ、さっき、大きな口にみ込まれたでしょ? あれが偽の神さまなのよね?」
 ――ニセッテ?
「そうか。偽はわからないよね。さっきの大きな口が、あなたたちが言う神さまなの?」
 ――神サマジャナイヨ。
 意外な返事に、わたしは驚いた。
「違うの? だって、みんなにひどいこと言うの、あの口でしょ?」
 ――神サマノ言葉ヲ、伝エテルダケ。神サマジャナイノ。
「それじゃあ、神主さんみたいじゃないの」
 ――カンヌシ?
「いいの。気にしないで。だけど、あの口は神さまに忠実だってことよね?」
 ――チュウジツ?
 疲れがどっと襲いかかって来る。だけど、相手は子供と同じだ。わたしはゆっくり息をしてから言い直した。
「あの大きな口は、神さまの言葉がみんなを苦しめるのがわかってて、そのままあなたたちに伝えているのね?」
 ――ソレガ、役目ダカラ。
「あなたたち、腹が立たないの?」
 ――ハラガタタナイ?
 そうか、風船にはおなかがない。て言うか、全部がお腹みたいだけど、やっぱりわからないか。
「あなたたち、あんなひどいことされても嫌じゃないの?」
 ――イヤ?
「嫌もわかんないか。じゃあ、何て言えばいいかな……。あなたたち、あんなひどいことされても何とも思わないの?」
 ――悲シイ。
「それだけ?」
 ――ウン。
 わたしは切なくなった。風船たちは神にひどい目に遭わされても、悲しいとしか思わない。文句を言うこともなければ、あの大きな口の生き物を責めることもしない。それぞれはただ自分の役目を果たしているだけだと理解しているし、自分もまた危険を顧みずに役目を果たそうとする。どうして? 神さまが大好きだから。
 わたしは泣きそうになりながら風船たちに言った。
「わたしね、あの大きな口に間違ったことを伝えないでって言いたいんだけど、どうすればいい? また、あそこへ行ける?」
 ――行ケルヨ。
「よかった。じゃあ、どうすればあの大きな口と話ができるかな? あそこへ行っても、すぐに放り出されちゃうから、話ができないでしょ?」
 風船たちはすぐには答えてくれなかった。沈黙が続いたあと、誰かが言った。
 ――チョット、ムズカシイケド……。
「できるのね? どうすればいいの? 教えて!」
 どの風船がしゃべったのかわからず、わたしは風船たちを見回しながら言った。
 ――ピューッテ出タ、スグノ所ニネ、入ル所ガアルノ。
「そこに入れば、あの大きな口と話ができるのね?」
 ――ウン。
 やっと方法が見つかった。わたしは世界の崩壊を救ったような気になった。
「そこには、どうやれば入れるの?」
 また風船たちは黙ってしまった。今度は誰も答えてくれない。
「ねぇ、どうしたの? そこへは、どうやったら入れるの? 教えてよ」
 ――ワカンナイノ。
「だって、あなたたち、そこへ行ったことがあるんでしょ?」
 ――アルケド……。
 そうだった。風船たちは自分の意志で進行方向を決めているわけではない。流れに乗っているだけだ。右へ行くか左へ行くかは流れ次第だ。あの口を出たばかりの所にある入り口に、入れるかどうかはまったくの運次第なのだろう。
 わたしはがっかりした。だけど、諦めてしまってはおしまいだ。できることは何でもやってみるしかない。

 突然、足下が動いた。また地震かと思ったけど、虹の森で起こった揺れとは違う。轟音ごうおんは聞こえないし、ぐらぐらっという感じでもない。ゆっくり波打つような揺れ具合だ。実際、枯れ草だらけの地面は、上がったり下がったりしていた。
 しばらくして揺れが収まると、風船たちがわたしを呼んだ。
 ――神サマ、ホラ!
 ――コッチ、コッチ!
 声は聞こえるけど、どの風船が呼んでいるのかわからない。きょろきょろしながら歩いて行くと、ソッチジャナイヨ――と言う声。何度も方向を修正しながら進むと、前方に明るい色が見えた。わたしは歩調を早め、小走りになった。
 色がある場所へ着くと、そこは一面の花畑になっていた。だけど、そこにある花は公園や花壇なんかで見かけるようなものではなかった。
 たけは三十センチぐらいだろうか。多肉植物のように丸く膨らんだ、緑色の細長い葉のような物が、にょきにょきと地面から生えている。茎なのかもしれないけど、よく見る植物の茎と比べると、はるかに太くて瑞々みずみずしい。この葉っぱだか茎だかわからない丸い物の先っぽには、色とりどりの花が咲いていた。
 花と言っても不思議な感じだ。はすの花の形に似ているけれど、見ているうちに輪郭がぼやけて、きれいな色の光の塊になる。
 下の葉っぱのようなものは、ゆらゆらと左右に揺れている。何度か揺れると、光の塊になった花はふっと宙に舞い上がる。そよ風に吹かれたタンポポの綿毛のような感じだ。
 光の花が離れたあとも、葉っぱのような物はゆらゆら揺れ続ける。すると、その先に再び同じような花が咲く。
 辺りにはいろんな色の花の光が、ふわりふわりと漂っている。その輝きは緩やかなリズムで、強くなったり弱くなったりしている。何色ものホタルが乱舞しているみたいで、とても幻想的だ。その数はどんどん増え続け、ゆっくりと同じ方へ流れて行く。
 しばらくすると、地面に生えた葉っぱたちは、花を咲かせるのをやめた。と思ったら、次第にしぼんで茶色く変色し、ついには初めに見たのと同じ枯れ草になってしまった。
 だけど宙に浮いた光の花たちは、ふわふわと浮かび続けて少しずつ動いていた。
 わたしは光の花たちのあとについて移動した。もちろん、風船たちも一緒だ。
「ねぇ、もしかして、これがみんなの食べ物なの?」
 近くにいる風船に尋ねると、ソウダヨ――と返事が返って来た。
 わたしは浮かんでいる光に手を伸ばし、その一つを手に取ってみようとした。だけど、光は手の中を通り抜けてしまい、触っているのに触っている感覚がない。
 わたしは諦めて観察するだけにした。すると、同じように見える光でも、大きさに違いがあるのがわかった。
 光が強く輝いたときに、一番大きく広がって見えるのは紫色の光だ。
 逆に一番小さく見えるのは赤い光。黄色や緑やピンクや青い光なんかはその間だけど、どれが大きいか小さいかという判別はつかない。その中で、赤い光だけが風船に触れると見えなくなった。
 結局、光の花が咲いたのは、枯れ草の原っぱの限られた場所だけだった。それもわずかな時間だけで、花が咲いた辺りはすぐに元の枯れ草に戻ってしまった。
 きっと本来は見渡す限りの光の花が咲くのに違いない。それはとても素晴らしい光景だろう。でも今の原っぱは、枯れ草だけの忘れ去られた寂しい場所のようだ。
 あの虹色の森がイガグリに壊されていくように、ここもこのまま花が咲くこともなく、原っぱ全体が朽ちていくのに違いない。それはこの世界全体が滅びていくということだ。

 広大な原っぱを出たあと、わたしたちは青白い空間を進んだ。歩くのも疲れるので、わたしは浮かびながら移動した。それでも長い間同じ状態でいると、ひどい気怠けだるさと息苦しさばかりに気持ちが向いて、偽の神と戦う意思が薄れてしまう。おまけに、あの巨大な口が流す絶望的な感情が、わたしにすべてを諦めさせようとする。
 それでも風船たちが声をかけて、わたしを励ましてくれるので、わたしは何くそと自分を奮い立たせた。そうして進んでいると、やがて前方に巨大な山が見えて来た。それは岩肌がき出しになった真っ赤な禿げ山だ。樹木らしきものは生えていない。
 わたしは富士山ふじさんをテレビでしか見たことがない。だけど、おそらく富士山よりもはるかに大きいと思える、見上げるような山だった。
 わたしたちの先の方を飛んでいる光の花たちは、風船たちと一緒にその赤い山へ向かっている。あの山を登るのかと、へとへとのわたしは再び気持ちがえそうになった。
 ところが空いっぱいに浮かんだ風船たちは、それぞれの高さのまま山に吸い込まれるように消えて行く。下の方にいる風船たちも、上に上がることなく山の中に消えるようだ。
 山に向かう風船たちは、みんな青くしぼんでいるのかと思ったら、側面から山に近づく風船たちは赤いようだ。枯れ草の原っぱは通らずに、別の道でここへ来たのだろうか。でも、赤い風船と青い風船は混じることなく、それぞれが別の所から山に吸い込まれているみたい。
 この吸い込まれる様子が遠くからだとよくわからなかったけど、近づいてみると岩山のあちこちに、中へ入る入り口のようなものがあった。
 岩山の表面は、全体に亀の甲羅こうらみたいな六角形の模様がある。そのそれぞれの六角形の中心に穴が開いている。無数にあるこれらの穴の中に、風船たちは次々に入って行った。
 枯れ草の原っぱから移動して来た光の花たちも、風船たちと一緒にこれらの穴の中へ入って行く。もしあの原っぱ全部で光の花が咲いたなら、きっとこの山全体が七色の光に包まれたに違いない。だけど今は光の花が少ないために、七色の光を迎えられる穴は全体のごく一部だけだ。
 わたしは光の花を追いかけて穴の一つに侵入した。中は薄暗いトンネルになっているけど、全体的に赤っぽく見える。交番の上についている、あの赤い電灯でぼんやり照らされているみたいだ。
 ――ヤット来タ。
 うれしそうな声がした。同時に、大きな舌のような物が、右側からべろりとわたしの身体をめた。驚いて右を見ても、誰もいないし何もない。
 ――ヤット来タ。
 また声が聞こえて、今度は左側から大きな舌が、わたしを舐めた。
「何よ、何なの?」
 振り返っても、やっぱり誰もいないし何もない。
 ――ヤット来タ。
 声と同時に、右側からまた何かが舐めた。そっちを見ると、今度は左。
 パニックになったわたしは、両腕で自分の身体を抱くようにして守った。だけど、そんなことをしたって舐める舌は止まらない。わたしは大きな何かに舐められ続けた。でも目に見えるのは赤黒い通路の壁だけだ。
 わたしは気持ちを落ち着かせると、絶対に相手の正体を見極めてやろうと思った。
 身体の右側を舐められたとき、わたしは右を見ないで左側をじっと見た。すると驚いたことに、そちらの壁が舌のように伸びて来て、わたしの身体をべろりと舐めた。すぐに右を見ると、そっちの壁も舌になってわたしを舐めた。
 前方を見ると、風船たちも舐められていた。だけど、慣れているのか平気なようだ。もしかして風船を舐めることで、元気を分けてもらっているのだろうか? でも、ここにいる風船たちは、さっきの枯れ草たちに元気を分けていたので、ほとんどの者たちが青くしぼんでいる。いくら舐めたところで、分けてもらえる元気は残っていないだろう。
「ねぇ、あなたたち、何でわたしたちのことを舐めるの?」
 わたしが尋ねると、壁はわたしを舐めながら喋った。
 ――食ベ物……食ベテルダケ。
「わたし、食べ物じゃないよ!」
 わたしは文句を言った。でも、すぐに光の花が食べ物だということを思い出した。
 見ていると、左右から出て来る大きな舌は、確かに光の花を舐め取っていた。光の花は舌に張りついたまま壁の中へ取り込まれている。でも、光の花は数が減っている様子がない。食べられて見えなくなったと思っても、いつの間にかそこで光っている。
 おかしいなと思って、わたしは観察を続けた。すると、光の花を舐め取った舌が引っ込んだあと、そこの壁の中から新たな光の花が、染み出るように外へ出て来た。
 これでは食べたことにはならないだろうにと思ったけど、染み出て来た光の花は、原っぱで見ていた光の花とは、少しだけ違うような気がした。
 一番大きかった紫の光は、少し小さくなったように見える。その色具合も、元の紫色と比べると、青みがかっていたり、赤みがかっていたりしているようだ。他の色の光も、前と同じように見えるけど、よく見ると、少し違っているみたいだった。
「ねぇ、あなたたち、食べた物を元に戻してるの?」
 わたしは壁に尋ねた。壁はまたわたしを舐めながら答えた。
 ――全部ハ……食ベナイ。
「いらないのは戻すわけ?」
 ――ミンナガ……食ベヤスク……シテル。
「みんな? 他の人たちは、初めのままじゃ食べられないの?」
 ――一番小サイノ……食ベラレル……。他ノ……食ベラレナイ。
 つまり、ここは加工工場ってことか。あるいは調理場なのかもしれない。そして、この壁の舌たちは、この世界のシェフってわけだ。わたしは少しだけ楽しい気分になった。
 だけど、途中から壁が舐めなくなった。もう舐めないのかと尋ねると、食べ物がなくなったと言われた。もう加工すべき光の花がなくなったので、何もできなくなったらしい。
 これで食べ物はみんなに足りるのかと聞いてみると、全然足らないと言う答が返って来た。それは、風船たちの仲間が飢え死にするということだ。

 トンネルを抜け出ると、そこは薄い青色の空間だった。流れに押されるのではなく、前に吸い寄せられる感じだ。空間が広くなるにつれて、青い風船たちの数がどんどん増えて行く。まだこの世界のことがよくわかっていないけど、前へ引き寄せられるときに、あの巨大な口が現れたように思う。
 どんどん宙を飛んで行くと、思ったとおり先の方に開いたり閉じたりしている、巨大な口が見えて来た。動いている歯は三枚ある。でも、もう一つの口は歯が二枚だった。どちらも呪いの言葉を発していたから、二匹とも偽の神の代弁者ということか。一匹でも戦うのは大変だろうに、双子の怪物とは困ったものだ。
 とにかく吸い込まれて吐き出されたときに、入り口を見つけなければならない。出口のすぐ近くにあると言うから、よく注意していよう。
 口の真ん中を通過したのでは、入り口を見つけたとしても、絶対そこへは行き着けないだろう。近づくこともできずに、通り過ぎてしまうに違いない。端っこにいた方が見つけやすいだろうし、入りやすいはずだ。
 わたしは宙を泳ぎながら、風船たちの群れの端の方へ向かって、少しずつ移動した。でも空間はかなり広くて、端まで移動するのは容易ではない。
 そうこうしているうちに、口がぐんぐん迫って来た。口の中を通り過ぎたあとのことばかり考えていたけれど、あの歯にみ切られてはおしまいだ。
 わたしは覚悟を決めると、自分でも宙を泳ぎながら口の中へ飛び込んだ。
 これまでと同じように、すごい圧力で押しつぶされそうになりながら、心は絶望で張り裂けそうになった。この苦痛に耐えるのに必死で、入り口を探すことなど頭から抜け落ちてしまいそうだ。
 外へ吐き出されたとき、わたしはぐるぐる回転しながら入り口を懸命に探した。でも、これはジェットコースターに振り回されながら、周辺の様子を確かめているのと同じだ。入り口が見えたかもしれないけれど、わたしには何もわからなかった。結局、わたしは入り口を見つけられないまま、虹の森へ押し流された。
 不思議なことに、森には黒い木は一本もなく、すべての木が七色に輝いている。風船たちは夢中で白い実を食べていたけど、わたしはイガグリが現れないか心配で、警戒を続けた。だけど、一向いっこうにイガグリは現れない。ここはとても平和なようだ。
 突然胸が苦しくなって、わたしはき込んだ。その時、森は轟音とともに大きく揺れ動き、わたしは近くの木にしがみついた。また地面が裂けるかと思ったけど、今度はそこまでにはならなかったようだ。それにしても、何でせきをすると地震が起きるのだろう?
 奇妙に思いながら、わたしは近くにいた風船に、ここに敵はいないのかと尋ねてみた。
 風船はウンと言った。どうやら虹の森は一カ所だけではないらしい。クラゲとイガグリの戦いは、こことは別の森で起こっているということだ。まだ無事な森が残っていたのはよかったと思う。だけど、ここだってどうなるかはわからない。
 安堵あんどと心配が入り交じる中、目指す入り口を見つけられなかったことを、わたしはやんだ。
 入り口がどこにあったのかと、風船に聞いてみると、次に吸い込まれて出た所にあると言う返事が返って来た。要するに、さっきの所には入り口はなかったらしい。
 わたしはがっくりしたけど、今度こそはと気合いを入れ直した。