お父さんの悲しいお話
お母さんが入院してから、一ヶ月が経った。でも、まだ退院はできないらしい。
お父さんは仕事が見つからなくて、毎日ハローワークという所へ通っている。
ぼくといっしょにいるときは、お父さんは元気そうに見せている。でも、ぼくが見ていないと思ったら、しょんぼりしていることが多い。
病院の先生の話では、お母さんにはストレスをかけてはいけないそうだ。ストレスが何なのかよくわかんないけど、お母さんが楽になるようにしないといけないんだって。だから体をつかれさせてはいけないし、心配させてもだめなんだ。
そのせいか、お父さんはお母さんの前では、やたらに元気で笑顔いっぱいだ。そんなお父さんを見ていると、ぼくは悲しくなってしまう。
実はお父さんの仕事がだめになったのは、今回が初めてじゃない。機械を造る仕事の前には、保険を売る仕事をしていたんだ。だけど、それも一昨年の春にやめちゃった。
ぼくが小さかったころにも、やっぱり仕事をやめたことがあるらしいし、お母さんと結婚する前にも、何度か仕事を変えたことがあるそうだ。
どうしてお父さんは仕事が続かないのか、ぼくにはわからないけど、仕事がなければお金がもらえないから大変だってことはわかる。
これまでだったらお母さんもスーパーのパートなんかで働いてたから、お父さんを助けることができた。でも今度はお母さんのお腹にぼくの妹がいるし、お母さんは入院しちゃったから、今までみたいにはいかないんだ。
何が何でもお父さんは、次の仕事を見つけなくっちゃいけないから、ぼくもできることは協力しようと思ってる。
あいかわらず学校では、みんなにロボットのことを言われてばかりだけど、もうそんなことはどうでもいいんだ。そんなことより、お父さんに元気でいてもらう方が絶対にいいもの。
家にいるとき、ぼくはなるべくお父さんのそばにいることにした。宿題も自分の部屋じゃなく、お父さんがいるリビングでした。お父さんも上に行けとは言わないから、ぼくといっしょにいるのがいいみたい。
前はお父さんとしゃべることは、あんまりなかった。だけど、今は毎日いろんな話をしてるんだ。
だいたいがアニメやまんがの話だけど、自然の生き物の話もするし、宇宙の話もしてくれる。
ぼくたちが住んでる所では、夜空を見上げても星なんかほとんど見えない。見えるのはお月さまと、一等星か二等星の星ぐらいだ。天の川なんて見たことがない。
でもお父さんが子供のころには、夜に空を見上げると満天の星で、それはきれいだったそうだ。
お父さんの実家には、三年前に遊びに行ったことがある。だけど、そのときには夜空を見上げたりしなかったから、ぼくはくやしがった。お父さんは笑いながら、今度行くことがあれば、そのときに見ればいいと言った。
お父さんが子供のころの話をしてくれたのは、この星空の話ぐらいだった。ぼくが聞かなかったからかもしれないけど、お父さんは自分の子供のころの話とか、家の話なんかはしてくれなかった。
それであるとき、子供のころの話が聞きたいとせがむと、お父さんはちょっと困った顔になった。どうしたのとたずねると、お父さんは何でもないと言い、自分は人見知りだったから、学校ではよくいじめられたと話してくれた。
これは意外なことだった。お父さんがいじめられっ子だったなんて、今のお父さんからは想像がつかないもの。
今思えば、あれはいじめではなくて、単にからかっていただけだと思うと、お父さんは言った。だけど、本人がいやがることをわざとするのは、やっぱりいじめだ。
ぼくが腹を立てると、お父さんは笑いながら、でもだいじょうぶなんだと言った。何がだいじょうぶなのかと聞くと、お父さんには三つ年上のお姉ちゃんがいたそうだ。
そのお姉ちゃんは優しい上に気が強くて、お父さんをいじめる者を見つけると、それがだれであれつかまえて、謝るまでとっちめたんだって。その話をするときのお父さんは、とてもなつかしそうにほほえんでいた。
このお姉ちゃんはお父さんとよく遊んでくれたそうで、いっしょに山へ虫取りに行ったり、川で小魚やエビをつかまえたりもしたんだって。それにお父さんに勉強を教えてくれたり、お父さんの将来の夢を聞いてくれたりもしたらしい。
ぼくは一人っ子だから、そんなお姉ちゃんがいるお父さんがうらやましかった。
そのお姉ちゃんは今はどうしているのとたずねると、お父さんは急に悲しそうな顔になり、亡くなったんだと小さな声で言った。
おどろいたぼくは、どうして亡くなったのと聞いた。お父さんは少し下を向いて、病気だったんだ――と言ってだまってしまった。
それ以上は聞けなくて、ぼくもだまっていると、血液の病気だったんだってお父さんは話してくれた。
今はいろいろ治療法があるらしいけど、昔は治療がむずかしくて、お金もいっぱいかかったらしい。でもお父さんの家は貧乏だったから、お姉ちゃんは治療が受けられないまま亡くなったそうだ。それはお父さんがぼくと同じ六年生だったときのことだった。
「お姉ちゃん、かわいそうにね」
ぼくが言えたのはそれだけだった。お父さんは小さくうなずくと涙をこぼした。
お父さんにとって大切なお姉ちゃんだったから、今でも悲しいんだろう。ぼくも何だか悲しくなった。
それから何日かあと、やっとお父さんの仕事が見つかった。でも前みたいに機械を造る仕事じゃないみたい。だから、ロボットを造ってもらう話は完全にだめになっちゃった。
見つけたのは建設現場の仕事で、ビルを造ったりするらしい。働く場所が遠いから、今までよりずっと早く家を出ないといけないし、帰って来るのも何時になるのかわからないんだって。
それに、もしかしたら一晩中もどって来ないこともあるみたい。さすがにそれはいやだなって思ってたら、そこで相談なんだけど――とお父さんは言った。
「もうすぐ夏休みが始まるだろ? お父さんの仕事が始まるのもそのころからなんだ。だから孝志は夏休みになったら、おじいちゃんたちの家に行ってくれないか」
「え? おじいちゃん家へ行くの? ぼく一人で?」
おじいちゃんの家に遊びに行くことは、少しもいやじゃないけれど、ぼく一人だけっていうのは、ちょっといやだった。だけど、お父さんもお母さんもいなくなるのであれば、そうするよりないのはわかってる。
「お母さんが動けるようになるまでのしんぼうだ」
ぼくは不安な顔をしてたんだろう。お父さんはぼくをはげますように言った。
「お母さん、すぐに動けるようになる?」
「夏休みが終わるまでには、退院できると思うんだ」
「ほんとに?」
「たぶん」
たぶんという言葉ほどあいまいなものはない。でも、ぼくには選択の余地がなかった。
それに考えてみたら、おじいちゃん家へ行けば、夏休み中にクラスの連中と顔を合わせずにすむ。お父さんのことやロボットのことで、あれこれ言いわけを考えなくてもいいから、助かるかもしれない。自分だけが行くのは気になるけど、条件としては悪くないか。
「わかった。ぼく、おじいちゃん家へ行くよ」
ぼくがうなずくと、苦労をかけるなと言って、お父さんはうれしそうに笑った。
「そうなんだ。でもタカちゃん、一人でだいじょうぶ?」
夏休みのぼくの予定を聞いて、お母さんは少し心配そうな顔をした。今日はおじいちゃん家へ行く前のお見舞いだ。
「だいじょうぶだって。それに男と男の約束なんだ」
ぼくがしゃべる前にお父さんが言った。お母さんの前だと、お父さんはいつもぼくより先にしゃべるんだ。
な?――とお父さんに顔を向けられたぼくは、文句を言えずにうなずいた。
お母さんは納得したみたいだけど、今度はお父さんの新しい仕事を心配した。お父さんはだいじょうぶとくり返しながら、トイレに逃げてしまった。
ため息をつくお母さんに、ぼくは最近お父さんといろんな話をするんだと言った。
どんな話かと聞かれたので、ぼくはいろいろ説明した。それで天の川の話をしたところで、お父さんの子供のころの話を思い出した。
ぼくがお父さんのお姉ちゃんの話をすると、お母さんはその話はお父さんから聞いたと言った。
「お父さんのお姉ちゃん、かわいそうだね」
ぼくがしんみり言うと、お母さんは暗い顔で、お父さんがいろんな仕事がうまく行かないのは、そのせいだと思うと言った。
どういうこと?――てたずねると、お母さんは少しためらいがちに言った。
「お父さんの家は貧乏だったから、お父さんのお姉さんは、自分の治療なんかにお金をかけないで、お父さんのために使ってやって欲しいって、おじいちゃんとおばあちゃんに言ったんだって。それでお姉さんは亡くなってしまったんだけど、そのときにね、おばあちゃんが泣きながら、お父さんにお姉さんのその言葉を聞かせたんだって」
お父さん、大好きだったお姉ちゃんが自分のために治療を受けなかったと知って、大きなショックを受けたそうだ。それはそうだと思う。ぼくだって、ぼくにお金が必要だからって、お母さんが入院できずに死んじゃったらいやだもの。
自分のせいでお姉ちゃんが死んだと思ったお父さんは、それから引きこもって学校にも行かなくなったらしい。それどころか、ごはんも食べなくなって、おじいちゃんたちはお父さんが死んじゃうんじゃないかって心配したそうだ。
「そんなことがあったからね、お父さん、今でも自分の気持ちをうまく出せないの。それで仕事もうまく行かないのよ」
「そうなのか。お父さんのお姉ちゃんもかわいそうだけど、お父さんもかわいそうだね」
「そうよ。だけど、どこかで吹っ切らないとだめ。もう子供じゃないんだから。それに今度の仕事は危険をともなうからね。中途半端な気持ちだと危ないから心配よ」
ほんとだよねと、ぼくは相づちを打った。でも、お母さんはぼくの言葉なんか聞こえていないみたいで、少し興奮気味に話を続けた。
「昔の話だから今さらなんだけどね、おじいちゃんもおばあちゃんも自分の子供たちの気持ちが、ちっともわかってなかったのよ。お父さんのお姉さんがどんな思いで話をしたのか、お父さんがどうして引きこもってしまったのか。何にもわかってないから――」
「お待たせ。トイレがどこにあるのかよくわからなくて、あちこち探しちゃったよ」
お父さんが照れたような顔でもどって来たので、お母さんは口をつぐんだ。それからぼくがお世話になる実家のことを、いろいろ言い過ぎたと思ったようで、今のはここだけの話だからねと、ぼくに小声で言った。
「ん? 何の話だい?」
お父さんがぼくとお母さんの顔を見比べた。ぼくたちはにっこりしながら、何でもないと口をそろえて言った。
夏休みに入るとすぐに、ぼくはお父さんに連れられて、お父さんの生まれ故郷の町を訪れた。町と言っても、ぼくが住んでいるような町じゃない。山と川のそばに、ぽつりぽつりと集落があるだけの町で、村と言ってもいいんじゃないかと思う。
お父さんの実家も古い家で、住んでいるのはおじいちゃんとおばあちゃんだけだ。近くの家も、ほとんどがお年寄りだけになっているらしい。
それでも、おじいちゃんもおばあちゃんも、まだまだ元気だった。
「お母さんのことは心配だろうが、孝志も六年生だから、しっかりがんばるんだぞ」
ちゃぶ台の向こうから、おじいちゃんはぼくをじっと見つめながら言った。
おじいちゃんのメガネは目が大きく見える。だからじっと見られると、宇宙人に見られているみたいだ。
「タカちゃんはだいじょうぶよ。それより、お母さんのお腹の中にいる子は、女の子なんだってね。よかったねぇ、タカちゃん。あなたに妹ができるのよ」
おばあちゃんは、おじいちゃんの横でにこにこしながら言った。
「ところで、今度の仕事はいつからだ?」
おじいちゃんがお父さんに話しかけた。お父さんは少し緊張気味で、あさってが初仕事ですと言った。
親子なのに他人としゃべるみたいなお父さんの話し方が、ぼくはちょっと気になった。だけど、お母さんから聞いたお父さんの昔の話を考えれば、それも仕方がないのかなとも思った。ここはお父さんの実家だけど、居心地がいいわけじゃないんだろう。
おじいちゃんは歳だから働いていないって、ぼくは思ってた。だけど、おじいちゃんは畑仕事もするし、建設現場の仕事もしてるんだって。若い人がいないから、歳を取っても仕事を辞めるわけにはいかないらしい。
だから、おじいちゃんは建設の仕事がどれほど大変なのかを、よーく知っている。それで、建設の仕事が初めてというお父さんのことを心配し、できれば他の仕事に変えるようにと、お父さんに話をした。
だけどお父さんは、うんとは言わなかった。大変かもしれないけど、とにかくがんばってみるって言ったんだ。それはぼくやお母さん、そして、これから生まれて来るぼくの妹のために出た言葉にちがいない。ぼくはお父さんがかっこいいと思った。
話が終わると、お父さんはおばあちゃんにうながされて、仏壇に手を合わせた。それでぼくもお父さんの横に並んで、同じように手を合わせた。
お父さんはお姉ちゃんに何か話しかけてるんだろうかと思いながら、ぼくはお父さんのお姉ちゃんに心の中であいさつをした。
三年前に来たときにも、仏壇の前で手を合わせたけれど、あのときはポーズを取っただけで、別に何かを祈ったわけじゃなかった。
でも今回はちゃんとお父さんのお姉ちゃんに、お父さんはだいじょうぶですと話しておいた。
お祈りをするぼくを見ていたおじいちゃんとおばあちゃんは、ぼくが子供のころのお父さんにそっくりだと言って笑っていた。その言葉はぼくをうれしくさせた。
お父さんは照れたみたいに笑っているけど、ぼくにとって、お父さんに似ているということは、とてもほこらしいことだった。